2019年2月24日の礼拝宣教から

『結びの言葉』 コロサイ信徒への手紙4章7-18節

主幹牧師 津村春英

 昨日行われたサッカーの試合に関するニュースによると、今話題の世界的名手3人を擁するヴィッセル神戸が、セレッソ大阪に敗れたということです。勿論、プレイヤー個々人の技術の優れていることが求められますが、やはりチームプレーなのだと思わされました。

 コロサイ書の終わりの結びの言葉4:7-9には、ティキコ(使徒20:1、テモテ二4:9、テトス3:12)とオネシモ(フィレモン書10)が、コロサイにある教会に、パウロのこの手紙を持参すると書かれてあります。インターネットは勿論のこと、電話もテレビもラジオも新聞もない時代です。手紙は重要な伝達手段でした。さらにパウロの6人の協力者の挨拶が続いています。彼らはユダヤ人のアリスタルコ、マルコ、ユスト、それに異邦人のエパフラス、ルカ、デマスです。とりわけルカは「愛する医者ルカ」と形容され、後に福音書と使徒言行録を記す人物と思われます。このように、パウロの福音宣教活動は独りではなく、チームプレーであったことが分かります。

 わたしたちの教会もキリストを頭とする一つのチームであり、祈り祈られる兄弟姉妹のチームワークが大切です。兄弟姉妹のために祈りましょう。また、祈られていることに感謝しましょう。 

2019年2月17日の礼拝宣教から

『祈りと知恵の生活』 コロサイ信徒への手紙4章2-6節

主幹牧師 津村春英

 将来を嘱望される18歳の女子水泳選手の白血病羅漢のニュースは衝撃でした。全国各地から励ましの声が上がっているようです。パウロはコロサイの教会のキリスト者に宛てた手紙の終わりに、三つの励ましの言葉を書いています。第一に、「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」(4:2)。佐藤雅文『祈祷の生涯』には、「一人祈るのは寝る前の数秒、共に祈るのは集会か食事前のこれも数秒という信者がいかに多いことか、これでは活発な主のみわざを期待する方が無理であろう」とあります。ひたすら祈りなさい。自分のためだけでなく、他の人のために、特に、ここではパウロたちの宣教活動のために祈るように勧められています。

 第二に、「時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい」(同5)。「時」の原語はカイロスで、ちょうどふさわしい時期を表し、「よく用い」は意訳で、自分のために買い取ること。つまりフル活用すること。「外部の人」とは教会外の人で、「賢く」は「知恵ソフィアをもって」が直訳です。

 第三に、「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう」(同6)とあります。「塩で味付けされた言葉」とは、からい言葉ではなく、キリスト者らしく、優しい、思いやりのある、親切な言葉です。わたしたちも、そのようでありたいものです。

2019年2月10日の礼拝宣教から 

『主に仕えるように』 コロサイ信徒への手紙3章18-4章1節

主幹牧師 津村春英

 国政においては統計不正問題が、家庭においては児童虐待の隠ぺいが、建造物においては不正施工が話題になっています。外からは見えない所ですが、真実さが求められています。新約聖書時代のキリスト教への改宗者は、「農村地域の住民の中でも、貴族層(都市の統治と行政者)においてでもなく、各地の都市の中間層においてであった。…経営主、労働者、職人、商売人、貿易商人、さらには奴隷も含めて…都市の中間層を構成していた」とH・ケスターは書いています(『新しい新約聖書概説―ヘレニズム時代の歴史、文化、宗教』440-441頁、cf.コリント一1:26)。

 人間関係において、妻と夫、子どもたちと両親、奴隷と主人に対し、特にこれらの弱者に向けて、「主」との関係で、あるべき姿が説かれています。「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい」(18)。「子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです」(20)。「奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい」(22)。このように、人間関係の円満のコツは、「主に仕えるように」です。わたしたちを愛して下さっている神様、主イエス・キリストに仕えるように行動できるよう祈り、励みましょう。

2019年2月3日の礼拝宣教から

『愛はすべてを完全に結ぶ帯』 コロサイ信徒への手紙3章12-17節

主幹牧師 津村春英

 「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」(3:12)。これは、キリストと共に十字架で死に(2:20)、キリストと共に復活にあずかる(3:1)、新しい人を身に着ける(3:10)ということです。また、互いに忍び合い、赦し合いなさいと勧められています。さらに、これらの上に、(すべてを)完全に結ぶ帯である「愛」を(着けなさい)と勧められています。原文には「帯」という単語はありませんが、愛はこれらを完全に結ぶもの(2:19の「筋」と同じ単語)なのです。これは、コリント一13章1-3節の「愛がなければ」という言葉とも響きあっています。今、朝ドラで、インスタント・チキンラーメンの生みの親、安藤百福(ももふく)夫婦の物語が放送されています。麺の配合では、「つなぎ」となるものが必要です。わたしたちの種々の品性(人柄)の要素の「つなぎ」のような役目をするのが、「愛」アガペー、つまり、神の愛、キリストの愛だと思います。

 さらに、キリストの平和があなたがたの心を支配するように、感謝する者となるように、キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。さらに、感謝して心から神をほめたたえなさいという言葉が続きます。そのように生活できるよう励みましょう。

2019年1月27日の礼拝宣教から

『新しい人を着なさい』 コロサイ信徒への手紙2章20-3章11節

主幹牧師 津村春英

 永六輔さん作詞の「上を向いて歩こう」はあまりにも有名です。永さんは仏教徒と思われますが、「幸せは雲の上に、幸せは空の上に」とあります。今日の聖書の箇所には、「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。」(3:1)、そして、「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け」(同10a、cf.1:15「御子は見えない神の姿」)とあります。「上にあるもの」(複数形)とは、天上におられるキリストがもっておられる品性で、それはまた、「新しい人」とも表現されます。それらは、「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」(同12)などが考えられます。この「新しい人」を身に着けなさいと勧められているのです。こうして、「日々新たにされて、真の知識に達するのです」(同10b)。

 これに反し、「地にあるもの」、それは「古い人」であり、淫らな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、貪欲、怒り、憤り、悪意、そしり、恥ずべき言葉、嘘(cf. 同5,8)などで、これらを一切捨て去り、脱ぎ去りなさいと勧められています。「キリスト共に死んだ」(2:20、cf. コリント二5:17)キリスト者は、このような服は脱ぎ捨てなければなりません(新聖歌446の2, 3節♪「あなたは毎日イエスの側を歩いてるか。…罪のしみのない服を毎日着ておるか」♪)。