2025年6月1日の礼拝宣教から    

「主イエスの弟子であること」 ルカによる福音書14章25-35節

津村春英牧師

 戦後、進駐軍の政策もあり、多くの人がキリスト教会に何かを求めてやってきました。得られなかったのか、期待外れだったのか、多くの人が去って行きました。一体、どれだけの人が残ったのでしょうか。

 押し寄せる大群衆を前にして、主イエスは「弟子であること」を説かれました。家族を捨て、自分の命までも惜しまず、後に続くようでなければ、弟子になることはできないと言われました。確かに、エルサレムへの旅の目的は十字架でしたので、その従者として当然の覚悟が求められたのです。そこまで言われて、果たしてどれだけの人が残ったのでしょうか。ウイリアム・バークレーは、「教会の中には、イエスに何となく従っている者が多いが、真の弟子は少ない」と書いています(『ルカ福音書』柳生望訳、ヨルダン社、1979, p.218)。

 さらに主は、弟子を塩にたとえられました、塩は、防腐剤、調味料、畑の肥料として用いられました(同pp.219-220)。塩は自分をなくして周りに影響を与えるものです。まさに、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)という生き方です。天に宝を積む生き方です。最後の審判の時に、各自の天国銀行の通帳の貯金額がチェックされます。大丈夫でしょうか。

2025年5月25日の礼拝宣教から

「招かれて食事をする者」 ルカによる福音書14章12-24節

津村春英牧師

 主イエスがファリサイ派の議員に食事に招かれた際、客の一人が、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」(14:15)と言ったので、主イエスは神の国の宴会について、次の話をされました。ある主人(神)が、宴会の時刻(最後の審判)になったので、すでに招待状を送っていた人々のところに僕を遣わしたところ、畑を買ったので、妻をめとったので、牛を買ったのでなどと弁解し、招待を断ったと僕から報告を受けました。それで主人は、再度、再々度、町中や町の外れまでも出て行って、本来招かれる予定のない人々をかき集めて席を埋めるよう、僕に命じました。これは、招待状を受けていたのに断わったのがファリサイ派の人々を含む選民ユダヤ人であり、他方、かき集められて食事の席に着くのは、悔い改めた罪人たちになるというたとえでした。

 牧師も洗礼証書という、神の国の食事への招待状を発行しますが、その人が食事の席に着くことができるかどうかは、その後の、その人の生き方にかかっています。どれだけ、神様に喜ばれることをしたのか、どのように生きてきたのか、それが問われるのです。来るべき日、神の国の食事を味わう(喜びを分かち合う)ことのできる人は誰でしょうか。

2025年5月18日の礼拝宣教から

「むしろ末席に」 ルカによる福音書14章1-11節

津村春英牧師

安息日は十戒に定められ、文字通り安息の日であって労働が禁じられました。それは神さまの愛のご配慮でした。しかし、後に細則が加えられていき、安息ではなく窮屈な制度になり、いつしか律法の専門家やファリサイ派の人々がそれを監視するようになっていました。そんな中、主イエスは、安息日に招かれた食事の席で、水腫を患う人を癒されました。これは労働とみなされますが、規則より愛が優先されることをお示しになるためでした。

 続いて、招かれた客が上席を選ぶ様子をご覧になり、婚宴の席に例えて、「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(14:10, 11)と言われました。これは単なる道徳訓ではなく、やはり愛の問題なのです。主イエスは、天の父のところ、つまり上席におられたのに、地に下られ、実に十字架の死という末席に座られたのです。「キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして/僕の形をとり…/人間の姿で現れへりくだって、死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。このため、神はキリストを高く上げ/あらゆる名にまさる名を/お与えになりました」(フィリピ2:6-9・聖書協会共同訳)。模範を示された主イエス・キリストに続きましょう!

2025年5月11日の礼拝宣教から    

「かめの粉は尽きず」 列王記上17章8-16節

津村春英牧師

 古代北イスラエル王国の悪王アハブの時代にエリヤという預言者が立てられました。エリヤは王にこの数年間、露も降りず雨も降らないと預言し、逃亡の身となりました。主なる神は、まず彼の故郷近くのケリテ川の渓谷で烏(複数形、渡り鳥)にパンと肉を運ばせ、彼を養いました。次に、彼を異教の町シドンのサレプタの一人のやもめのところに向かわせ、そのやもめに水とパンを要求させます。実は、このやもめとその息子は大変貧しくて、その時、一握りの小麦粉とわずかな油をもって、薪二本でパンを作り、それを食べてしまうと、やがて餓死する運命にありました。しかし、「主がこの地に雨を降らせるまで、かめの小麦粉は尽きず、瓶(びん)の油がなくなることはない」(17:14)とのエリヤの言葉どおりになり、エリヤもやもめも息子も守られたのです。

 ところがこの後、その息子が大病を患って死んでしまうのです。母であるやもめはエリヤに因果応報を超えた救いを熱心に求め、ついに息子は生き返ります…。彼女の姿は私たちの母の姿のように思えます。そのような母に感謝したいと思います。こうして彼女はエリヤを通して愛の神を知りました。私たちはイエス・キリストを通して愛の神を知ります。心から感謝をささげましょう。

2025年5月4日の礼拝宣教から    

「エルサレム、エルサレム」 ルカ福音書13章31-35節

津村春英牧師

 中南米出身者として初めて教皇になられたフランシスコ教皇がお亡くなりになりました。その遺言に、「人生の最期を特徴づけるこの苦しみを、世界の平和と人々の兄弟愛のために、主にささげます」(私訳)とありました。

 同じローマに、2000年前、ローマ帝国皇帝ティベリウス(AD14-37)がいました。その時代の東の辺境地ユダヤには、イエス・キリストがおられ、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だがお前たちは応じようとしなかった。」(13:34)と語られました。ここでいう「エルサレム」とは、選民イスラエルを指し、この警告にもかかわらず、それから約40年後のAD70年に、エルサレムはローマ軍に包囲され、神殿は破壊され、略奪されてしまいまし た。

 「エルサレム」はまた、現代の私たちを暗示しています。主イエスは私たちの罪を贖うために、天の御国への道を開くために、十字架におかかりになりました。そして今も、私たちを招いておられます。♪「昨日も今日も変わりなく 血潮したたる御手を伸べ 『友よ帰れ』と招きつつ 待てるは誰ぞ 主ならずや」(新聖歌221番4節)