2026年6月28日の礼拝宣教から
「御子によって、御子を通して」 ヘブライ人への手紙1章1-4節
津村春英牧師
相次ぐ地震や連続して到来した台風により各地に被害が出ています。直接、被害がなくても動揺があると思われます。しかし、ヘブライ書には、「わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」(12:28)とあります。同書の始めには、「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。」(同1:1-2)とあります。前の下線の句は、神は御子イエス・キリストのご生涯によって私たちに語られたので(cf.ヨハネ14:9)、御子について学ぶことによって神を知ることができることを意味し、後ろの下線の句は、神は御子を通して世界(11:3も、アイオーン:時間的世界。cf.コスモス:秩序ある世界、ヨハネ3:16など)を創造されたということです。
NHKの朝ドラで、看護学を教えるためにスコットランドから来日した女史が、“What is nursing? The one being questioned is myself.”という言葉を書き残しましたが、「キリスト教信仰って何? 問われているのは私自身です。」と読み替えてみてはどうでしょうか。さらに御子についてヘブライ書から学びましょう。
2026年6月21日の礼拝宣教から
「父の諭しを聞きなさい」 箴言1章8-19節
津村春英牧師
今日は父の日です。「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。」(箴言1:8)とありますが、母の日と共に、「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」(出エジプト20:12)に起源があり、幸福の秘訣がここに示されています。そして、父親の使命として、「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。」(申命記6:6-7)とあります。父親は神の代理者、代弁者として自ら学び、その品格を身につけねばなりませんでした。
このように、家庭が中心だった時代に比べ、父親も忙しく、親子の触れ合い時間が極端に減少してしまっている現代、どのように上記の言葉を受け止めるべきでしょうか…。冒頭の箴言1:8の理由が、「それらは頭に戴く優雅な冠 / 首にかける飾りとなる。」(箴言1:9)と続きます。ヘブライ語原文には下線部に相当する動詞はなく、翻訳者の解釈ですが(cf.聖書協会共同訳)、私たちが戴く冠、首飾りは、主イエス・キリストの贖いの賜物で、「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」(ヨハネ黙示録2:10)とあります。栄光の冠を頂けるよう、信仰の道を歩み続けましょう!
2026年6月14日の礼拝宣教から
「あなたの造り主に心を留めよ」 コヘレトの言葉12章1-14節
津村春英牧師
建築家アントニ・ガウディの、未だ建設中のサグラダ・ファミリアのメインタワー「イエスの塔」が完成し、ガウディ没後100年を迎える日にバルセロナで記念式典が開かれました。ガウディの思想を継承する日本人スタッフ・外尾悦郎氏は、「人は創造しない。発見するだけだ。」というガウディの言葉を引用しておられました(TEDx Talks)。私たちの創造主は聖書が語る「神」です。
コヘレト(ヘブライ語カ―ハール「集会」の関連語で、集会を導く者、説教者、伝道者の意)は、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」(コヘレト12:1)と語っています。人は、不幸、不運、悲しみの日々や老齢期の「弱さ」などを経験します。しかし、神を発見するように勧められています。内村鑑三も、「人生の目的は神を識(し)るにある。艱難はこの目的を達するために必要であるなら、艱難は決して災禍(わざわい)ではない。恩恵(めぐみ)ある。」(『一日一生』)と説いています。コヘレトは、「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。」(同13)と結びますが、神は、御子イエス・キリストを通して、愛をお示しになりました。造り主である神を心に留め、神の愛の内を歩みましょう。
2026年6月7日の礼拝宣教から
「あなたの未来には希望がある」 エレミヤ書31章10-17節
津村春英牧師
津村春英牧師
過日、ある女子が家族間のトラブルで、ChatGPTに助けを求めたところ、予想外の展開で警察沙汰になったという出来事に衝撃を受けました。生成AIは便利なツールにすぎません。私たちは信頼できる相談相手を持つか、できるだけいろいろな事柄を広く学んで、困難に対処する力を身に着けるべきです。
旧約聖書の列王記に記されているサウル、ダビデ(BC1000年頃)、ソロモンの後、南北二国に分断され、北イスラエル王国は、歴代にわたって悪王が続き、アッシリアに滅ぼされます(BC722/721)。他方、南ユダ王国は約130年もの間、この北イスラエルの状況を見ながらも、悔い改めず、ついに背信の民は神に裁かれ、バビロンに捕囚されます(BC587/586エルサレム陥落)。エレミヤは、この南ユダの善王ヨシアの治世(BC620宗教改革)に預言者として立てられ(エレミヤ1:2,3)、エルサレムがバビロニアに占領されたときにそこにいた(同38:38)とありますが、「目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる…あなたの未来には希望がある。」(同31:16,17)と民に回復の預言を語りました。
私たちの人生においても、思わぬことに遭遇し、苦しみ、あえぐときがありますが、主イエス・キリストを私たちに与えてくださった愛の神は御言葉をもって私たちを導いてくださいます。信じ受け入れ、感謝しつつ歩みましょう!
2026年5月31日の礼拝宣教から
「主にあっていつも喜びなさい」 フィリピ書4章4-9節
津村春英牧師
「喜び」の書簡といわれるパウロのフィリピ書の最終章の4章には、「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(4・聖書協会共同訳)とあり、また、「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(同6)と奨めています。そして、「そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。」(同7・聖書協会共同訳)と結んでいます。下線の語は軍事用語で、「見守る、監視する」の意味があり、当時の人々は、時のパックス・ロマーナ(ローマ帝国による平和)を連想するかも知れませんが、パウロはローマ帝国でなく、神から来る、イエス・キリストの真実によってなしとげられた平和が、信じる者の心と考えを守ってくださるのだと書いています。だから、思い煩うのはやめ、求めているものを神に打ち明けなさいとあるのです。
将棋の藤井聡太六冠は、「将棋は唯一解を探すゲームではない」(朝日新聞、2025年6月30日)と言われたそうですが、人生も同じではないでしょうか。いろいろな局面があり、未知の展開があります。しかし、見守っていてくださる方がいるのですから、主にあっていつも喜んでいることができるのです。