2025年6月8日の礼拝宣教から    

「喜びを分かち合う」 ルカによる福音書15章1-10節

津村春英牧師

「記録より記憶に残る選手になりたい」と言ったミスタープロ野球、伝説の人が亡くなられました。人々の心に残されたものがあることでしょう。主イエスは弟子たちに約束を残されました。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である」(ヨハネ14:6)。そして、「この方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする」(同16:8)と、弁護者と表現される聖霊の降臨の約束をされ、ペンテコステの日にそれは起こりました。

 ルカ福音書15章の三つの失われたものの救い(1-7; 8-10; 11-32)には、「悔い改める一人の罪人」がクローズアップされています。旧約聖書ヘブライ語の「罪を犯す」ハッターは「的を外す」という意味があり、目標を見失っているということです。「罪の悔い改め」とは、本来の目標に向かうことです。見失った一匹の羊、なくした一枚の銀貨が本来のところに戻るなら、天で大きな喜びがあると主は言われました。自分の「罪」に気づかせてくださるのが聖霊で、本来のところに戻してくださるのが主イエスの十字架なのです。主に見いだされ、的を射た人生へと導かれているその喜びを分かち合いましょう。