「主イエスの弟子であること」 ルカによる福音書14章25-35節
津村春英牧師
戦後、進駐軍の政策もあり、多くの人がキリスト教会に何かを求めてやってきました。得られなかったのか、期待外れだったのか、多くの人が去って行きました。一体、どれだけの人が残ったのでしょうか。
押し寄せる大群衆を前にして、主イエスは「弟子であること」を説かれました。家族を捨て、自分の命までも惜しまず、後に続くようでなければ、弟子になることはできないと言われました。確かに、エルサレムへの旅の目的は十字架でしたので、その従者として当然の覚悟が求められたのです。そこまで言われて、果たしてどれだけの人が残ったのでしょうか。ウイリアム・バークレーは、「教会の中には、イエスに何となく従っている者が多いが、真の弟子は少ない」と書いています(『ルカ福音書』柳生望訳、ヨルダン社、1979, p.218)。
さらに主は、弟子を塩にたとえられました、塩は、防腐剤、調味料、畑の肥料として用いられました(同pp.219-220)。塩は自分をなくして周りに影響を与えるものです。まさに、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)という生き方です。天に宝を積む生き方です。最後の審判の時に、各自の天国銀行の通帳の貯金額がチェックされます。大丈夫でしょうか。