2020年4月5日の礼拝宣教から 

『ここに愛がある』 ヨハネの手紙一4章7-21節

牧師 津村春英

旧約聖書の時代には、レビ記にあるように罪の償いとして家畜が献げられました。しかし、時が至って、神は御子イエス・キリストを私たちの罪を償ういけにえとしてこの地上にお遣わしになりました。これが神の愛であり、ここに愛があると書かれています。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(4:10)。これが、聖書が告げる愛です。具体的には、エルサレムの都の外のラテン語でカルバリの丘というところで主イエスは処刑されました。私たちは、そして私は、カルバリの愛の何を知っているかと自ら問うてみましょう。新型コロナウイルス感染禍の下、企業だけでなく、キリスト教会も厳しい試練の中にあります。この受難週、神の愛、十字架の愛の意味を深く考えてみましょう。

「私の人生を 根底から揺るがすような試練には 会いたくないともし思うならば、ひどい仕打ちをうけること、孤立すること、不快な状況に置かれること、理解できない試みにあうことを もし避けようとするならば、その時わたしは カルバリの愛をまったく知らない。」

(エミーカーマイケル『カルバリの愛を知っていますか』棚瀬多喜雄訳、1994.)