2019年10月13日の礼拝宣教から

『神に喜ばれるために』 テサロニケ信徒への手紙一4章1-12節

牧師 津村春英

台風19号は「これまでに経験したことのない」記録的な被害をもたらしました。一日も早い復旧をお祈りします。わたしたちは、人生の「これまでに経験したことのないような」大災害に、どのように備え、対処します。

使徒パウロはテサロニケの教会のキリスト者に、どのような状況の中でも、神に喜ばれる生活をするように勧めました。第一に、みだらな行い(娼婦との関係など)を避け「聖なる者となるように」。第二に、互いに愛し合う「兄弟愛」をさら推し進めるように。第三に、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。」(4:11)と勧めました(下線部の原意は「静かにする」)。

『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』(J.M.バーダマン編/村田薫)に、19世紀半ばのアメリカの暗黒時代と言われる黒人奴隷の姿を次の6つのタイプで表現しています。1)逃亡することに力を尽くす者、2)逃げないが作業用の道具をわざと壊す者、3)主人を毒殺しようとした者、4)絶望して自殺を図った者、5)集まって、主人に対して反乱を起こした者、6)静かに仕事をし、苦しむ者もいたが、たいていはキリスト教徒になり、地上での苦難の見返りとして天国に期待を寄せた、とあります。下線部はパウロの上記第三の勧めと響き合います。わたしたちはどうでしょうか。

2019年10月6日の礼拝宣教から

『ぜひ会いたい人』 テサロニケ信徒への手紙一2章17-3章13節

牧師 津村春英

最近、昔の人に会いたいというテレビ番組が増えているように思います。「あの人に会いたい」(過去の偉人、有名人に会いたい)「あいつ今何してる」(同級生や苦労時の友人に会いたい)「先生、、、どこにいるんですか?~会って、感謝の言葉を伝えたい。~」など。

パウロは、福音宣教の戦いの中にあるテサロニケに再び行って、ぜひ会って励まし合いたい、喜びを分かち合いたいと切望しましたが、「サタンによって妨げられました。」(2:18)とあります。何か良くないことに遭遇したためか、あるいは病気などの肉体的な問題のためでしょうか。そこで、テモテを遣わしました。「ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました」(3:6)。

みなさんにとって、「ぜひ会いたい人」は誰ですか。夭折の詩人八木重吉は、「神様 あなたに会いたくなった」「夢で神を見たい」と歌っています。あなたの「ぜひ会いたい人」はイエス様でしょうか。

2019年9月29日の礼拝宣教から 

『神の言葉は働いている』 テサロニケ信徒への手紙一2章13-16節

牧師 津村春英

台風15号による被害を「対岸(たいがん)の火事」などと思ってはなりません。一日も早い復旧を祈ります。今回は建物の被害だけでなく、長い「停電」が深刻です。電気がなければ水も飲めない、使えない時代です。そこで必要なのは非常用のエネルギーです。「エネルギー」はドイツ語読みと思われ、英語ではエナジーです。もとはギリシア語のエネルゲイアで、エン(内在)+エルゴン(働き)で構成され、活動、力を意味します。次の13節下線部は、その動詞形の中動態で表され、「強く働いている」と訳せます。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」(2:13)

また、「神の言葉は生きていて、力(エネルゲース)がある」(ヘブライ4:12協会共同訳)とあるように、神の言葉はエネルギーに満ち、信じる者のうちに働いてその人をエネルギーに充ち溢れさせるのです。それにはまず、御言葉を聞くことから始めなければなりません(ローマ10:17)。御言葉によって、強くされ、実を結ぶ(マタイ13:23)人生を歩みたいものです。

2019年9月22日の礼拝宣教から   

『パウロの私たちへの手紙』 テサロニケ信徒への手紙一2章1-12節

牧師 津村春英

「手紙」という名の歌がいくつかあり、感動を受ける歌もあります。使徒パウロはテサロニケのキリスト者に、「わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、」(2:7)と手紙を書きました。この「母親」の原語は、実母を含めた乳母を意味しています。また、「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に」(同11)「呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」(同12)と書いています。下線部の「神の御心にそって歩むように」は意訳で、新しい訳ではいずれも直訳的に、「神にふさわしく歩む」(協会共同訳、新改訳2017)となっています。ただ、「ふさわしく」は副詞なので、「神が期待しておられるように歩む」というように解釈してみます。このようにして、神ご自身の御国と栄光にあずかることができるのです。

この手紙は、「パウロの私たちへの手紙」でもあります。わたしたちが、―神の期待に応えるために、ときには父親として、また、ときには母親として、私たちを育ててくださっている存在があるのです。

2019年9月15日先週の礼拝宣教から

『信仰によってイサクは』 ヘブライ人への手紙11章17-22節

牧師 津村春英

今日は礼拝後に、高齢者を敬う「敬愛会」をもちます。ヘブライ書には、「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。」(11:17)とあり、「信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。」(同20)とあります。この間、イサクはどのような人生を歩んだのでしょうか。その名が意味するように、「彼は笑う」という人生を歩んだのでしょうか。アブラハムやヤコブと比べると地味で、井戸を掘り続けただけだったのでしょうか(♪イサクのおじさん井戸を掘る『こどもさんびか1・64』)。勿論、その時代のその地方では、井戸掘りは困難を極め、水は死活問題でしたが。しかし、イサクはヤコブやエサウにとって「重要な父」であり、そして、ヨセフも父ヤコブがいなければ存在しなかったのです。イサクは、「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす/わが僕アブラハムのゆえに。」(創世記26:24)というみことばを主からいただきました。こうして、イサクは信仰によって歩んだと証言されているのです。 わたしたちも、与えられたみことばに心から感謝し、信仰によって力強く歩んでまいりましょう。