2019年11月3日の礼拝宣教から 

『心が燃えているのか』 ルカによる福音書 24章13-32節

牧師 津村春英

つい二日前に、主とあがめるイエスを十字架刑により失った二人の弟子が家路についています。彼らは自分たちが落胆の沼に落ちて行くのを感じています。ただ、葬られた墓を見に行った他の仲間たちが、イエスは復活され、

見つけることができなかったという報告は受けていました。彼らは道々そのことについて論じ合っていると、そこに復活されたイエスが合流されたのです。しかし、彼らにはまだ分かりませんでした。イエスは歩きながら、モーセ(律法の書)とすべての預言者の書から始めて、聖書全体にわたってご自分について書かれてあることを説き明かされました。やがて家にたどり着き、イエスを無理やり引き留めて一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡されました。この懐かしい光景により、ついに二人の目が開かれましたが、イエスの姿はもう見えなかったというのです。

二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(24:32)と語り合いました。厳密に訳せば、「心は燃やされ続けていた」となります。復活されたイエスと出会っているとき、心が燃やされ続けるのです。今日、あなたはイエスに出会っていますか。

2019年10月27日の礼拝宣教から

『御言葉を聞いて悟る人』 マタイによる福音書 13章1-9節

牧師 津村春英

今週10/31(木)は宗教改革記念日です。マルティン・ルターの宗教改革は、神のみことばの復権でした。神のみことばを、種にたとえた話が、共観福音書のマルコ、マタイ、ルカのすべてに出てきます。ミレーの「種まく人」(1850年)の絵からイメージしながら読んでみましょう。

マタイによると、種を蒔く人によって蒔かれた種(複数)は道端に落ちました。すると鳥(複数)が来てついばんでしまいました。土の少ない岩地に落ちた種(複数)はすぐ芽を出しましたが日が昇ると枯れてしまい、茨のところに落ちた種(複数)は、茨が塞いで成長できませんでした。ところが、良い土地に落ちた種(複数)は成長して多くの実を結んだというのです。

これは、よく知られた、たとえ話です。種を蒔く人はイエスで、多くの人々に種が蒔かれました。この話の要点は、「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」(マタイ13:23)の「悟る」という語にあります。原語のギリシア語は、「一緒にまとめる」を意味し、理解する、悟ると訳されます。聖書のみことばを、上っ面だけで読み過ごしてはいけません。一面的ではなく、多元的、複眼的、総合的に読むことです。そうすれば、みことばが自分の内で成長し、豊かな実を結ぶに至るのです。

2019年10月13日の礼拝宣教から

『神に喜ばれるために』 テサロニケ信徒への手紙一4章1-12節

牧師 津村春英

台風19号は「これまでに経験したことのない」記録的な被害をもたらしました。一日も早い復旧をお祈りします。わたしたちは、人生の「これまでに経験したことのないような」大災害に、どのように備え、対処します。

使徒パウロはテサロニケの教会のキリスト者に、どのような状況の中でも、神に喜ばれる生活をするように勧めました。第一に、みだらな行い(娼婦との関係など)を避け「聖なる者となるように」。第二に、互いに愛し合う「兄弟愛」をさら推し進めるように。第三に、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。」(4:11)と勧めました(下線部の原意は「静かにする」)。

『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』(J.M.バーダマン編/村田薫)に、19世紀半ばのアメリカの暗黒時代と言われる黒人奴隷の姿を次の6つのタイプで表現しています。1)逃亡することに力を尽くす者、2)逃げないが作業用の道具をわざと壊す者、3)主人を毒殺しようとした者、4)絶望して自殺を図った者、5)集まって、主人に対して反乱を起こした者、6)静かに仕事をし、苦しむ者もいたが、たいていはキリスト教徒になり、地上での苦難の見返りとして天国に期待を寄せた、とあります。下線部はパウロの上記第三の勧めと響き合います。わたしたちはどうでしょうか。

2019年10月6日の礼拝宣教から

『ぜひ会いたい人』 テサロニケ信徒への手紙一2章17-3章13節

牧師 津村春英

最近、昔の人に会いたいというテレビ番組が増えているように思います。「あの人に会いたい」(過去の偉人、有名人に会いたい)「あいつ今何してる」(同級生や苦労時の友人に会いたい)「先生、、、どこにいるんですか?~会って、感謝の言葉を伝えたい。~」など。

パウロは、福音宣教の戦いの中にあるテサロニケに再び行って、ぜひ会って励まし合いたい、喜びを分かち合いたいと切望しましたが、「サタンによって妨げられました。」(2:18)とあります。何か良くないことに遭遇したためか、あるいは病気などの肉体的な問題のためでしょうか。そこで、テモテを遣わしました。「ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました」(3:6)。

みなさんにとって、「ぜひ会いたい人」は誰ですか。夭折の詩人八木重吉は、「神様 あなたに会いたくなった」「夢で神を見たい」と歌っています。あなたの「ぜひ会いたい人」はイエス様でしょうか。

2019年9月29日の礼拝宣教から 

『神の言葉は働いている』 テサロニケ信徒への手紙一2章13-16節

牧師 津村春英

台風15号による被害を「対岸(たいがん)の火事」などと思ってはなりません。一日も早い復旧を祈ります。今回は建物の被害だけでなく、長い「停電」が深刻です。電気がなければ水も飲めない、使えない時代です。そこで必要なのは非常用のエネルギーです。「エネルギー」はドイツ語読みと思われ、英語ではエナジーです。もとはギリシア語のエネルゲイアで、エン(内在)+エルゴン(働き)で構成され、活動、力を意味します。次の13節下線部は、その動詞形の中動態で表され、「強く働いている」と訳せます。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」(2:13)

また、「神の言葉は生きていて、力(エネルゲース)がある」(ヘブライ4:12協会共同訳)とあるように、神の言葉はエネルギーに満ち、信じる者のうちに働いてその人をエネルギーに充ち溢れさせるのです。それにはまず、御言葉を聞くことから始めなければなりません(ローマ10:17)。御言葉によって、強くされ、実を結ぶ(マタイ13:23)人生を歩みたいものです。