2019年3月10日の礼拝宣教から 

『神の恵みによって』 コリント信徒への手紙二1章12-22節

主幹牧師 津村春英

 東日本大震災から明日で8年を迎えます。復興が思うように進まない中、今も避難生活を余儀なくされている方が大勢おられます。どれだけの人がその人生の計画を変更せざるを得ない状況に追い込まれたことでしょうか。

 今日の聖書の箇所は、パウロがコリントの教会を再び訪問する計画が変更になり、そのことで、コリントの教会から少なからず批判があったようです。そこでパウロは次のように書いています。「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです」(1:12)。さらに、「このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって『然り、然り』が同時に『否、否』となるのでしょうか。」(同17)とパウロは書いています。つまり、「然り」からすぐに「否」に変わってしまうような、軽率で人間的な考えによるのではないと反論しているのです。

 私たちの人生にも確かに紆余曲折があります。その都度、深い祈りをもって、「神の恵みによって」行動しましたと言える人生を歩みたいものです。

2019年3月3日の礼拝宣教から  

『苦難の中の希望』 コリント信徒への手紙二1章1-11節

主幹牧師 津村春英

 使徒パウロとその愛弟子テモテの名で書かれた手紙の一つで、「コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ」(コリント二1:1)で始まる手紙を皆さんと共に読んでいきたいと思います。挨拶と神への賛美に続いて、「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(同4)とあり、冒頭から「苦しみ」という言葉が出てきます。さらに、「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(同8, 9)とあるように、パウロは死の宣告を受けた思いになるほどの苦しみの中で、自分ではなく、神を頼るようになったと証しています。

 果たして、私たちの信仰はいかがでしょうか。それぞれの人生の避けて通れない苦しみの中で、望みをどこに、誰においていますか。死者をよみがえらせてくださる神を信頼し、希望を持って進みたいものです。

2019年2月24日の礼拝宣教から

『結びの言葉』 コロサイ信徒への手紙4章7-18節

主幹牧師 津村春英

 昨日行われたサッカーの試合に関するニュースによると、今話題の世界的名手3人を擁するヴィッセル神戸が、セレッソ大阪に敗れたということです。勿論、プレイヤー個々人の技術の優れていることが求められますが、やはりチームプレーなのだと思わされました。

 コロサイ書の終わりの結びの言葉4:7-9には、ティキコ(使徒20:1、テモテ二4:9、テトス3:12)とオネシモ(フィレモン書10)が、コロサイにある教会に、パウロのこの手紙を持参すると書かれてあります。インターネットは勿論のこと、電話もテレビもラジオも新聞もない時代です。手紙は重要な伝達手段でした。さらにパウロの6人の協力者の挨拶が続いています。彼らはユダヤ人のアリスタルコ、マルコ、ユスト、それに異邦人のエパフラス、ルカ、デマスです。とりわけルカは「愛する医者ルカ」と形容され、後に福音書と使徒言行録を記す人物と思われます。このように、パウロの福音宣教活動は独りではなく、チームプレーであったことが分かります。

 わたしたちの教会もキリストを頭とする一つのチームであり、祈り祈られる兄弟姉妹のチームワークが大切です。兄弟姉妹のために祈りましょう。また、祈られていることに感謝しましょう。 

2019年2月17日の礼拝宣教から

『祈りと知恵の生活』 コロサイ信徒への手紙4章2-6節

主幹牧師 津村春英

 将来を嘱望される18歳の女子水泳選手の白血病羅漢のニュースは衝撃でした。全国各地から励ましの声が上がっているようです。パウロはコロサイの教会のキリスト者に宛てた手紙の終わりに、三つの励ましの言葉を書いています。第一に、「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」(4:2)。佐藤雅文『祈祷の生涯』には、「一人祈るのは寝る前の数秒、共に祈るのは集会か食事前のこれも数秒という信者がいかに多いことか、これでは活発な主のみわざを期待する方が無理であろう」とあります。ひたすら祈りなさい。自分のためだけでなく、他の人のために、特に、ここではパウロたちの宣教活動のために祈るように勧められています。

 第二に、「時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい」(同5)。「時」の原語はカイロスで、ちょうどふさわしい時期を表し、「よく用い」は意訳で、自分のために買い取ること。つまりフル活用すること。「外部の人」とは教会外の人で、「賢く」は「知恵ソフィアをもって」が直訳です。

 第三に、「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう」(同6)とあります。「塩で味付けされた言葉」とは、からい言葉ではなく、キリスト者らしく、優しい、思いやりのある、親切な言葉です。わたしたちも、そのようでありたいものです。

2019年2月10日の礼拝宣教から 

『主に仕えるように』 コロサイ信徒への手紙3章18-4章1節

主幹牧師 津村春英

 国政においては統計不正問題が、家庭においては児童虐待の隠ぺいが、建造物においては不正施工が話題になっています。外からは見えない所ですが、真実さが求められています。新約聖書時代のキリスト教への改宗者は、「農村地域の住民の中でも、貴族層(都市の統治と行政者)においてでもなく、各地の都市の中間層においてであった。…経営主、労働者、職人、商売人、貿易商人、さらには奴隷も含めて…都市の中間層を構成していた」とH・ケスターは書いています(『新しい新約聖書概説―ヘレニズム時代の歴史、文化、宗教』440-441頁、cf.コリント一1:26)。

 人間関係において、妻と夫、子どもたちと両親、奴隷と主人に対し、特にこれらの弱者に向けて、「主」との関係で、あるべき姿が説かれています。「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい」(18)。「子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです」(20)。「奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい」(22)。このように、人間関係の円満のコツは、「主に仕えるように」です。わたしたちを愛して下さっている神様、主イエス・キリストに仕えるように行動できるよう祈り、励みましょう。