2019年8月4日の礼拝宣教から

『弱さを誇る』コリントの信徒への手紙二11章16-31節

主幹牧師 津村春英

 パウロは、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。」(11:30)とコリントの教会に書き送っています。論敵は誇り高い偽教師、偽使徒です。人が誇るものは、国力、戦力、経済力、学力…、みんな「力」のつくものばかり。「弱さを誇る」なんてことは殆どあり得ません。ただし、パウロは机上の空論でこのように書いているのではありません。幾多の困難を乗り越えた経験上から、その行きついた結果の心情を述べているのです。また、パスカルは「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦に過ぎない。しかしそれは考える葦である」(『パンセ』より)と言っています。

 故Y兄は、79歳で脳梗塞、その後遺症で半身不随に。86歳で召されるまでの7年間、外出は電動車いす。よく頑張られたと思います。信徒伝道師でしたので、教会だけでなく教団でも活躍された方でした。体が御不自由になられてから、こう言われました。「今まで、信仰の武勇伝を多く語って来たけれど、この様な身になってはじめて、信仰の奥深さ、信仰とは何かが分かった」と。信仰の神髄は、「弱さを誇る」ということではないでしょうか。物事がうまくいっているのは信仰のお陰だと思うのは未だ初歩の段階です。最善を成される神を信じ、「弱さを誇る」というほどの信仰に引き上げられたいものです。