2019年6月30日の礼拝宣教から

『キリストの栄光』 コリントの信徒への手紙二8章16-24節

主幹牧師 津村春英

 エルサレム教会への募金を促すために、コリントの教会に再び出向くことになった熱心なテトス。 「テトスについて言えば、彼はわたしの同志であり、あなたがたのために協力する者です。これらの兄弟について言えば、彼らは諸教会の使者であり、キリストの栄光となっています。」(23)とあります。下線部の可能な訳は、 ①キリストから栄光を受ける者②キリストに栄光を帰する者、が考えられます。聖書協会共同訳では「キリストの栄光を映す者です」、新改訳2017では「キリストの栄光です」と訳されています。ではそれはどういう人なのでしょうか。テトスらのように、イエス・キリストの福音宣教において、キリストの栄光を映し出し、キリストに栄光を帰する人を思い浮かべることでしょう。他方、そのように積極的でなくても、その存在そのものが、神の栄光を映し出すこともあります。

 私の姉は脳性小児まひでした。何も社会貢献のできない44年の生涯でした。むしろ、誰かの援助を必要としました。しかし、その周りの人々に何かを考えさせる存在でもありました。私はこの姉の存在により、神に近づくことができました。果たして、私たちはキリストの栄光を映し出す存在でしょうか…。神様から与えられた命を精いっぱい生き抜くこと、それがキリストの栄光を現すことにつながるのではないでしょうか。