2019年7月14日の礼拝宣教から

『適格者とは誰か』コリントの信徒への手紙二10章1-18節

主幹牧師 津村春英

「わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。 」(10:13)とパウロはコリントにある教会のキリスト者に書きました。特に下線部の原語は「カノーン」(正典もカノーン)で、神様から活動を許された領域を指し、その尺度(メトロン)で誇ると言っています。つまり、神様が割り当ててくださった範囲内、それはパウロたちが、「あなたがた」のコリントまで行き、福音を届けることができたことであり、そのことを誇るのであって、他人が他のところで成したことを誇るのではないと言っているのです。わたしたちにも、主から与えられた自分の範囲というのがあるのでしょうか。そこで、その中で、どのようにしてキリスト者として生きるかが問われているのではないでしょうか。
 そして、「自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。」(同18)とありますが、わたしたちは、さまざまな働きや経験を通して、「適格者」(ドキモス)となるよう求められています。それは、ローマ5:4(ドキメー:練達)などと同義で、主から与えられた厳しい試験、試練に耐え抜いて合格した者、本物であることが証明された者を指します。このように、主から推薦される適格者を目指したいものです。