2020年5月17日の礼拝宣教から

『心を騒がせるな』ヨハネ福音書14章1-6節

牧師 津村春英

 今や、世界は新型コロナウイルス禍で喘(あえ)いでいます。しかし、やがて必ず収束に向かいます。

 主イエスは、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(14:1)と言われました。「心が騒ぐ」のは、心に平安がないからです。平安の反対は「不安」です。当時の主の弟子たちは、間もなくして主が、この地上を去って天の父のもとに行かれると言われたので不安に陥っていたのです。しかし、それは弟子たちのために場所を用意しに行くのであって、準備ができたなら再び帰って来られると主は言われたのです。

 かつてガリラヤ湖で、弟子たちだけで舟で向こう岸に向かっていたとき、突風が吹き、逆風により前に進むことができませんでした。そのとき、主イエスが水上を歩いて近づいてこられるのをペトロが見て、舟から出て主の方に向かって水上を歩きだしました。途中で、強い風に気が付いて怖くなり、沈みかけたので、「主よ助けてください」とペトロは叫びました。主はすぐに手を差し伸べ、彼を捕まえて、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました(マタイ14:22-33)。どんな状況の中でも、神は、主イエスは、私たちと共にいてくだいます。神を信じ、主を信じ、「平安」を得ましょう。

2020年5月10日の礼拝宣教から

『良い羊飼い』   ヨハネ福音書10章7-14節

牧師 津村春英

今日は「母の日」です。「親孝行したいときに親はなし」とよく言われます(親の有り難さがわかる年頃には、親はこの世にはいない。親が生きているうちに孝行せよという戒め「故事ことわざ辞典」)。

主イエスの弟子たちは、やがて主がいなくなるのに気づいていません。確かに主は天に帰られますが、主はいつも「良い羊飼い」で、羊たち一人一人を知ってくださっています。「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」(10:14)。「知る」ギノースコーは単に知るのではなく、「見分ける、理解する、(男女が)知り合う」を意味します。羊飼いはそのように羊を知っているというのです。何と幸いなことでしょうか。羊もまたそのように羊飼いを知らなければなりません。しかし、そのことが羊である弟子たちにはまだわかっていません。後でわかるのです。そこで今、「よくよくあなたがたに言う」と主は言われるのです。直訳では、「アーメン、アーメンあなたがたに言う」ですが、この「アーメン」つまり、もっとも確かなことは、「わたしは羊のために命を捨てる。」(同15節)に表わされているのです。心から感謝しましょう。

2020年5月3日の礼拝宣教から

『私たちの確信』 ヨハネの手紙一5章13-21節 

牧師 津村春英

「荒波や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)」(松尾芭蕉『おくのほそ道』)

芭蕉は、荒波に襲われる佐渡島とその中にいる流人の苦痛を思い、しかし、その天上には美しい壮大な天の川が広がっていると歌っています。そのように、キリスト者も御子イエス・キリストを通して神から永遠の命をいただき、神の愛に包まれ、覆われているのです。「神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。 」(5:13)とあるように。ここにも、執筆の目的が明らかにされています(cf. 1:1-4, 5; 2:1, 12-14, ヨハネ20:31)。そして、「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。」(5:20)とまとめています。

愛の戒めに生きるキリスト者は、真実な方(cf.コリント一10:13真実な神)の内に、その御子イエス・キリストの内に、その愛の内にいます。どんな厳しい現実の中にあっても恐れることはありません。また、明日の心配は無用です(cf.マタイ6:33-34)。これが私たちの確信です。

これでヨハネの手紙一を読み終えます。読後、あなたの心に残っているものは何ですか。

2020年4月26日の礼拝宣教から 

『永遠の命を持つ人』ヨハネの手紙一5章6-12節

牧師 津村春英

 感染拡大を続ける新型コロナウイルスは全世界の命を脅かす疫病で、私たちに襲いかかってきます。しかし、感謝すべきことに、キリスト者は永遠の命である主イエス・キリストをいただいています。

  「この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。…証しするのは三者で、 “霊”と水と血です。この三者は一致しています。」(5:6-8)とあります。16世紀の教会は7-8節に次のように加筆しています(コンマ・ヨハネウムと呼ばれる)。「なぜなら、天において証しをするものが三者ある。父とことばと聖霊である。そして、これら三者は一つである。地において証しをするものが三者ある。聖霊と水と血である。そして、この三者は一つである」。そして、「御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。」(5:12)とあります。下線部の直訳は「御子を持つ人」です。御子は、水(バプテスマ)から始まり、神の愛の宣教をなされ、最期に血(十字架)を経て復活され、永遠の命をお与えくださったのです。何と幸いなことでしょうか。

 「永遠の世界から見れば、この世の中の不幸、そして罪悪にしましても、
すべては無限の神の愛に抱擁されているものです。」
(ヘルマン・ホイヴェルス『ホイヴェルス随筆選集 人生の秋に』春秋社、1996)

2020年4月19日の礼拝宣教から

『世に勝つ信仰』 ヨハネの手紙一5章1-5節

牧師 津村春英

今やニュースは新型コロナウイルス感染関連一辺倒です。それは私たちの生活と命を脅かしているからです。私たちはこれに勝利しなければなりません。スポーツ用品で有名なナイキの社名はギリシア神話女神ニケからきていると言われます。ギリシア語名詞形ニケ―「勝利」はヨハネ一では5:4のみ、動詞形ニカオー「勝利する」は2:13,14; 4:4; 5:4×2; 5:5の6か所に出てきます。

「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。」(5:4)神から生まれた人、つまりキリスト者は、世に勝利するとあります。「世」とは私たちを取り巻く環境であり、時に私たちを誘惑し、また責める存在です(cf.2:15-17;3:1,13)。さらに、「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(同5)とあります。そうですね。イエスが神の子であると信じ(4私たちの信仰)、告白する者が世に勝利するのです。