2020年3月22日の礼拝宣教から 

『神への信頼』 ヨハネの手紙一3章19-24節

牧師 津村春英

古代人は現代人よりも、より身近に神の存在を感じ、神のもとで生きていたと思われます。現在、世界は新型コロナウイルス感染で不安に包まれています。勿論、感染予防は重要ですが、礼拝出席者が減少する中、今、教会も信仰者個人も神への信頼が問われています。

「これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます」(3:19)。ギリシア語原文も「これによって」で始まり、前節の「言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」(同18)を受けていると思われます。そうするなら、神の御前で心安らかになるというのです。原文では、「知る」も「安らぐ」も未来形ですが、ここは最後の審判の時ではなく、この地上の時と考えます。また、その行動の具体例として、当時のある教会がおかれていた状況を反映し、「神の御子イエス・キリストの名を信じ、この方が私たちに命じられたように、互いに愛し合うこと、これが神の戒めです。神の戒めを守る人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神が私たちの内にとどまってくださることは、神が私たちに与えてくださった霊によって分かります。」(23, 24、聖書協会共同訳)とあります。このようにして、神への信頼が高まっていくのです。わたしたちは、どうでしょうか。

2020年3月15日の礼拝宣教から 

『互いに愛し合いなさい』 ヨハネの手紙一3章11-18節

牧師 津村春英

新型コロナウイルス感染の勢いが止まりません。ついにWHO(世界保健機関)はパンデミック(パン+エピデミック)と認定しました。パンは「全て」、エピデミックは「流行」を意味するギリシア語が語源です。使徒2:10; 17:21にある「滞在する」が関連語で、エピデミックはやがて去っていくものです。

 他方、ヨハネ文書(ヨハネ福音書とヨハネの手紙)のキーワードの一つであるギリシア語メノーは「とどまる」と訳されます。これは、少々のことでは離れない、しっかりとそこにとどまるという語です。今日の箇所でも14, 15, 17節に出てきます。「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」(3:17, 18)とありますが、当時の共同体の状況を表しています。

故Oご夫妻のモットーは、「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。」(ヤコブ4:17)でした。子は与えられなかったのですが、晩年お二人で、礼拝に来ることができない兄姉をよく訪ねられました。ちらし寿司やおこわ(赤飯)をプラスチックのパックに詰め、リュックにしょって訪問される姿を忘れることができません。

2020年3月8日の礼拝宣教から 

『どれほど愛されているか』 ヨハネの手紙一2章28-3章10節

牧師 津村春英

妻が、休日でも机に向かう私の姿を見て、「一体誰に似たのかな」と言いました。彼女は舅、姑を知っていますが、どうも違っているようです。私の内のDNAが関係しているのでしょうか。皆さんはどうですか。顔、形ではありません…。

キリスト者の内には神の「種」(聖書では子孫の意)があると書かれています(ヨハネ一3:9)。そして、「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。」(3:1a)とあるように、「神の子」と呼ばれるほど、神から愛されているというのです。ただし、「あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです。」(2:29)とあります。御子が義なる方(ディカイオス)であると知っているなら、義(ディカイオシュネー)を行う者も神から生まれている(神の子である)ことが分かるというのです。「義を行う」とは神に喜ばれる生き方です。そのひとつが、兄弟姉妹を愛することです。主イエスは、「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:12, 13・聖書協会共同訳)と言われました。自らの在り方を再考してみましょう。

2020年3月1日の礼拝宣教から 

『御子の内にとどまりなさい』 ヨハネの手紙一2章18-27節

牧師 津村春英

14世紀のヨーロッパで全人口の約3分の1が死亡したといわれているペストのように、今や新型コロナウイルス感染で全世界が揺れています。特効薬がまだないという状況の中、感染拡大を抑えるために日本政府は全国規模で小学中学高校の休校を要請しました。できるだけ「家にとどまりなさい」ということです。今はそのような時なのです。

「子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。」(2:18)とあります。反キリストとは、彼らから出て行った者たち(2:19)、イエスがキリストであることを否定する者たち(2:22)、イエスを告白しない霊(4:3)、御子イエス・キリストの受肉を否定する者たちで、信仰の根幹を揺るがす思想の者たちでした。「しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。」(2:27)と勧められています。油は聖霊(サムエル上16:13、コリント二1:21, 22など)です。そして、「御子の内にとどまること」こそ、反キリストの思想に「感染しない」生き方なのです。  

2020年2月23日の礼拝宣教から 

『御父の愛はその人の内に』 ヨハネの手紙一2章12-17節

牧師 津村春英

出口が未だ見えない新型コロナウイルス感染。PCR検査という、耳新しい言葉が出てきました。患者から採取した検体を検査して、その人の内にウイルスが「ある」か「ない」かを、判定するそうです。

 聖書には、「その人の内に御父の愛がない」(新しい『聖書協会共同訳』『新改訳2017』ともに以前の「御父への愛」「御父愛する愛」から変更)ということばがあります。何とも恐ろしいことでしょうか。ではそれは、どのようにして判定するのでしょうか。「世も世にあるものも、愛してはなりません。世を愛する人がいれば、御父の愛はその人の内にありません」(聖書協会共同訳2:15)。なぜなら、「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、父から出たものではなく、世から出たものだからです。世も、世の欲も、過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は、永遠にとどまります。」(同訳2:16, 17)とあります。

私たちの趣味や娯楽がすべて悪だというのではなく、信仰という観点から、私たちを誘惑し、堕落させ、信仰の力を奪う、そういう世的なもの、つまり、肉の欲、目の欲、驕り(おごり)、そんなものは必ず過ぎ去っていくのです。他方、神が喜ばれる御心を行い、神のみことばに生きることによって、私たちの内に神の愛が「ある」というのです。