2023年12月17日の礼拝宣教から 

「あけぼのの光が訪れる」 ルカによる福音書1章67~80節 

津村春英牧師

 過日、亡くなった谷村新司さんがある番組で、「歌を歌っていたら戦争なんかしない、できない」と語っていたのが印象的でした。また、歌が歌えるということは何と素晴らしいことでしょうか。

 バプテスマのヨハネと後に呼ばれる人の父ザカリヤは、霊に満たされて歌いました。まず、息子ヨハネの使命について、「主に先立って道を整え、民に罪の赦しによる救いを知らせる」と預言し、そして、この救いは、「我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和に導く。」(1:78, 79)と歌いました。「あけぼのの光」の原語は「東、日の出、朝日」を意味し、「訪れる」は旧約聖書の用法の「顧みる」の意で、やがて生まれ出る主イエス・キリストとその働きを、旧約聖書の預言者たちのように預言して歌いました。

 1960年代のフォークソング「朝日のあたる家」House of the rising sunは、自分の歩んできた半生を振り返り、こんなふうになってはいけないというメッセージを告げています。「暗闇と死の陰に座している者」とは誰のことですか。一回しかない人生です。悔い改めるなら、主の憐れみによって、人は変わることができます。あけぼのの光を待ち望み、光を受けて立ち上がりましょう。

2023年12月10日の礼拝宣教から 

「その名はヨハネ」 ルカによる福音書1章57~66節

津村春英牧師

 人は皆、それぞれ名をつけられています。エリサベトの息子は、慣例の親族の名ではなく、天使ガブリエルから「その名はヨハネ」と告げられたように命名されました。ヘブライ語ヨーハーナーンは、「ヤハウェは恵み深い」の意で、ヨハネは多くの人々に悔い改めを説き、バプテスマを施したので、後世にバプテスマのヨハネと呼ばれます。ところがガリラヤの領主の逆鱗に触れ、30歳ほどの若さで殉教しますが、その名にふさわしい生涯を全うしました。

 クリスチャン(キリスト者)は、原語で「クリスティアノス」で、語尾の「イアノス」はラテン語由来の「~に従う者」を意味します。では、キリストにどのように従うのでしょうか。主イエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9:23)と言われました。当時の弟子たちはいつも死を覚悟していなければなりませんでした。他方、初めてキリスト者と呼ばれたアンティオキアでは、福音を告げ知らせ、主から離れず、それぞれの力に応じて献げる人々でありました(使徒11:20-29)。また、主イエスが言われた、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい」(マタイ11:29)の言葉も忘れてはなりません。「その名はクリスチャン」と呼ばれる人は誰ですか。

2023年12月3日の礼拝宣教から   

「マリアの賛歌」 ルカによる福音書1章39~56節

津村春英牧師

 あなたにとって嬉しいことは何ですか。何かを与えられたときですか。試験に合格したときですか。それとも宝くじに当たったときですか(年末ジャンボ宝くじ、…買っていないのに当たるはずがありません)。反対に、最もつらいこと、寂しいことは何ですか。…忘れ去られることではないですか。

 天使ガブリエルから受胎告知を受けたマリアは、その話にあった親族のエリサベトを高地のユダヤに訪ねました。するとエリサベトの胎内の子がおどったので、エリサベトはマリアに言いました。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は何と幸いでしょう」(1:45)と。なお、下線部は原語や英語訳、ドイツ語訳にはなく、38節の希求法が示すように、マリアには不安があったかもしれないが主に身をゆだねたことからも、ことさら強調する必要はありません。

 マリアは、「その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」(同50)「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。」(同54)と歌います。主なる神は、父祖アブラハムとの契約のゆえに、その民を決してお忘れにならなかったと歌っているのです。主を畏れる者、言い換えるなら、神を信じる者は、いつも、神に覚えられていて、時に適った憐れみを与えられるのです。心から感謝し、救い主の誕生を記念する日を待ち望みましょう!

2023年11月26日の礼拝宣教から

「マリアの献身」 ルカによる福音書1章26~38節

津村春英牧師

 収穫感謝礼拝はアメリカのThanksgiving Dayに由来し、それに相当するものとして、わが国の勤労感謝の日が、戦後のGHQの指示で制定されたということです。皆さんは感謝していますか。何に、そして誰に感謝していますか。

 主イエス・キリストの誕生に先立ち、天使ガブリエルは、マリア(旧約聖書のミリアムの訳語で「高い」という意味)に現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。…マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」(1:28, 30, 31)と告げました。マリアは、「どうして、そのようなことがありえましょうか。」(同34、エルグレコの「受胎告知」はこのシーン)と応えましたが、ついに、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(同38)と言い、名前とは正反対に自らを低くして告知を受け入れました。「はしため」の直訳は女奴隷で、下線部はギリシア語の「希求法」で表現され、可能であるかもしれない未来への希望をもって、主に身をゆだねました。このようにマリアは、恐れおののきから、感謝、献身へと変えられていったのです。

 私たちも、どのような状況にあろうとも、主が共にいてくださり、恐れることはないと語りかけてくださいます。感謝しつつ、主の僕として歩みましょう。

2023年11月19日の礼拝宣教から

「喜ばしい知らせ」 ルカによる福音書1章5~25節

津村春英牧師

 ルカによる福音書には、主イエスの誕生前史として、バプテスマのヨハネの誕生が記されています。母エリサベトは不妊でしかも年老いていました。ただし、旧約聖書に登場するアブラハム、イサク、ヤコブの妻も不妊でしたが、息子を与えられた前例があります。祭司である父ザカリアに天使が現れて、「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである」(1:9)と告げました。「喜ばしい知らせを伝える」は、ギリシア語ではエウアンゲリゾマイで、福音(エウアンゲリオン)がザカリアにもたらさられ、ついにエリサベトは身ごもるのです。

 ともすれば、現状を悲観し、あり得ない、考えられない、不可能だ、で終わるのでなく、あきらめないで祈ることが肝要です。天使ガブリエルが現れてくれないかもしれませんが、何気ない日常の中にも、神様からの「喜ばしい知らせ」、メッセージがあります。そこに新発見もあります。ローマ書には、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)とあります。そうです。主を信じる者には、「最善の結果」が用意されているのです。今週も信仰もって進みましょう!