2025年6月22日の礼拝宣教から   

「本当に見えているか」 ルカによる福音書15章25-32節 津村春英牧師  「放蕩息子のたとえ」と言われる話には続編があります。その兄が登場します。むしろこちらに重点があるという考えもあります。兄は畑から帰ると、家から音...

2025年6月15日の礼拝宣教から

「走り寄る父の愛」 ルカによる福音書15章11-24節 津村春英牧師  「見失った羊」、「なくなった銀貨」のたとえに続く「いなくなった息子」のたとえは、「放蕩息子」のたとえとしてよく知られています。前二者に比べ、意識的に...

2025年6月8日の礼拝宣教から    

「喜びを分かち合う」 ルカによる福音書15章1-10節 津村春英牧師 「記録より記憶に残る選手になりたい」と言ったミスタープロ野球、伝説の人が亡くなられました。人々の心に残されたものがあることでしょう。主イエスは弟子たち...

2025年6月1日の礼拝宣教から    

「主イエスの弟子であること」 ルカによる福音書14章25-35節 津村春英牧師  戦後、進駐軍の政策もあり、多くの人がキリスト教会に何かを求めてやってきました。得られなかったのか、期待外れだったのか、多くの人が去って行き...

2025年5月25日の礼拝宣教から

「招かれて食事をする者」 ルカによる福音書14章12-24節 津村春英牧師  主イエスがファリサイ派の議員に食事に招かれた際、客の一人が、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」(14:15)と言ったので、主...