「やもめと裁判官のたとえ」 ルカ福音書18章1-8節
牧師 津村春英
主イエスは弟子たちに継続して祈ることの大切さを教えるため、次のたとえを話されました。神を畏れず、人を人とも思わない裁判官のところに、弱者のやもめ(『総説・ユダヤ人の歴史 中』新地書房、1991、158頁など)が、自分の正当性を証明してくれるよう、何度もやってきて懇願しました。当時は民事だけでなくすべての訴訟がこのように行われたようです(N.T.ライト『すべての人のためのルカ福音書』教文館、2025、318頁)。この裁判官は、際限なくやってくるやもめに根負けして、裁きを行ったというのです。
不正な裁判官でもそうなら、ましてや正しいお方である神は、「昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。」(7)と言われました。これは最後の審判の裁きを意味しています。それは、主の再臨の時に起こります。続いて、「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」(8)と加えられました。「人の子」バルナシャ(アラム語)はダニエル書7章に登場する救い主で、主イエスはご自分を指して言われたのですが、この信仰は忍耐強い祈りを意味しています。他人事ではありません。私たちに尋ねておられるのです。