「見えるようになりなさい」 ルカ福音書18章31-43節
牧師 津村春英
エリコに住むある盲人は、主イエスが自分の前を通り過ぎることを知らされ、千載一遇のチャンスとばかりに叫び続け、「主よ、目が見えるようになりたいのです」(41)と懇願しました。下線部の原語アナブレポーは「もう一度見る」の意で、この人は以前見えていたのかもしれません。何が原因で見えなくなったのかはわかりませんが、今は物乞い以外に収入の道はなく、また、目が見えないことで、どれほど宗教的に(ヨハネ9:2など参照)、社会的に(ヨハネ5:3参照)見下げられてきたことでしょうか。
しかし主が、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」(42)とお言葉をかけてくださり、彼は癒されたのです。つまり、この盲人が癒されたのは彼の信仰に拠ったのです(7:50; 8:48; 17:19も参照)。目が見えるようになったことにより、彼にはいくつかの選択肢が生じましたが、彼は人生の真の目的を見いだしたかのように、主イエスに従って行った(43)というのです。
先週、召されたI姉は、56歳のときに急性骨髄性白血病を宣告されますが、自らの信仰を見直し、神さまに全幅の信頼を置いて、癒され、その後、日曜礼拝とボランティア活動に励み、100歳の齢を与えらました。