「エルサレム、エルサレム」 ルカ福音書13章31-35節
津村春英牧師
中南米出身者として初めて教皇になられたフランシスコ教皇がお亡くなりになりました。その遺言に、「人生の最期を特徴づけるこの苦しみを、世界の平和と人々の兄弟愛のために、主にささげます」(私訳)とありました。
同じローマに、2000年前、ローマ帝国皇帝ティベリウス(AD14-37)がいました。その時代の東の辺境地ユダヤには、イエス・キリストがおられ、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だがお前たちは応じようとしなかった。」(13:34)と語られました。ここでいう「エルサレム」とは、選民イスラエルを指し、この警告にもかかわらず、それから約40年後のAD70年に、エルサレムはローマ軍に包囲され、神殿は破壊され、略奪されてしまいまし た。
「エルサレム」はまた、現代の私たちを暗示しています。主イエスは私たちの罪を贖うために、天の御国への道を開くために、十字架におかかりになりました。そして今も、私たちを招いておられます。♪「昨日も今日も変わりなく 血潮したたる御手を伸べ 『友よ帰れ』と招きつつ 待てるは誰ぞ 主ならずや」(新聖歌221番4節)