「弟子の覚悟」 ルカ福音書9章57-62節
津村春英牧師
信仰者は過去にとらわれません。と言っても過去を軽視するというのではありませんが、それ以上に前に向かうことに重点を置くからです。
イエスは、弟子として従おうとする者が、その前に、父を葬りに行きたい、家族に挨拶をしたい、と申し出た者たちに対して、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」(9:62)と覚悟を問われました。エルサレムに上り重大な使命を果たされる非常時であることを踏まえ、そうお答えになったのでしょう。その昔、農夫は牛馬に引かせながら鋤で土地を耕しました。私も幼少の頃、祖父に連れられて田んぼで、牛に引かれて鋤で土地を耕す手ほどきを受けました。人はその鋤が左右に倒れないようにしっかりと支えながら牛についていくのです。前に向かって進んでいるときに目を離して後ろを振り向いたりすると鋤が傾き、左や右にぶれてしまったという経験をしました。
個々人にとって今は非常時ではないかもしれませんが、使徒パウロはフィリピ書で、「後ろのものを忘れ、前のものに全身をのばしつつ」(フィ3:13)と書いていますし、アブラハムの甥ロトの妻は町を脱出するとき、忠告を聞かずに後ろを振り向いたため、塩の柱になったとあります(創19:25)。重要な前進のためには、信仰者として考えてみなければならないのではないでしょうか。