「自分は何者か」 ルカ福音書9章43b-56節
津村春英牧師
先週、アメリカの大統領選挙が行われました。第57代大統領として選ばれた人物は、自国の人々に対し、世界の国々に対し、どのようにリーダーシップを発揮するのでしょうか、人々は戦々恐々としています。
主イエスのリーダーシップのもと、弟子たちは目覚ましい働きを展開していきます。イエスが既になされたことについて人々が驚いているとき、イエスは弟子たちに向かって、「人の子は人々の手に引き渡されようとしている」(9:44)と言われました。もう二度目(9:22)なのに、弟子たちには全くこの言葉が理解できていませんでした。「人の子」はイエスご自身のことで、旧約聖書時代から救い主を意味していました(ダニエル7:13, 14参照)。このイエスの思いに反し、弟子たちは、自分たちの中で誰が一番偉いかと議論したのです。自分は何者か、全く分かっていません。おまけに自分たちに従わない人々(同49)や町々(同 54)を糾弾しようとして、イエスから叱責されたのです(55)。
そもそも「弟子」というギリシア語は、「学ぶ」から派生した語で、弟子は学ばなければなりません。では何を学ぶのでしょうか。私たちの罪の身代わりとなって、犯罪人のように十字架にかけられたお方から学ぶのです。驚くばかりの恵みです。心から感謝の祈りをささげましょう。