「国籍は天にある」 フィリピの信徒への手紙3章17-21節
津村春英牧師
使徒パウロは、「私たちの国籍は天にあります」(3:20・聖書協会共同訳)と書いています。「国籍」と訳されているギリシア語ポリテウマは、厳密には「市民権」を意味します。パウロの念頭にはローマの市民権があったと思われます。そこには特権と義務が発生しますが、征服地の拡大により、ローマやイタリア以外にもその対象が広がり、父親がローマの市民権を持っていれば、子もローマの市民権が与えられたようです。パウロもその一人でした(使徒22:28)。
折しも合同召天者記念礼拝の日。先に天に召された兄姉は「国籍を天に」持っていました。そして、その子どもにも与えられるのです。ただし、自動的にとはいきません。パウロは言います。「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架の敵として歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、地上のことしか考えていません」(同18, 19)と。これは単なる非難ではなく、愛するがゆえの言葉なのです。だから、「きょうだいたち、皆一緒に私に倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、私たちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。」(同17)と言うのです。この言葉はキリスト者を含め、すべての人に当てはまる勧めです。私たちも信仰の先達に続きましょう。