「キリストの信実を信じる」 ガラテヤの信徒への手紙3章21-25節
津村春英牧師
10/31は宗教改革記念日で、プロテスタント諸教会ではそれに近い主日を記念礼拝として献げます。宗教改革者マルティン・ルターのよって立つところは、聖書のみ、恵みのみ、信仰のみと言われ、ルターは、救いは時の「贖宥状」によらず、イエス・キリストを信じる「信仰」によると主張し、そこからプロテスタント諸教会が生まれました。
では、イエス・キリストを信じる信仰とは、イエス・キリストの何を信じるのでしょうか。1980年代以降の英語圏のパウロ研究から、ローマ3:22、26、ガラテヤ2:16,20; 3:22、フィリピ3:9などの箇所は、イエス・キリスト「への」信仰と訳さず、イエス・キリスト「の」信仰(信実、真実など)と訳すことが提案され、ついに日本における新たな翻訳(聖書協会共同訳2018には本文、新改訳2017は注記)に採用されるに至りました。「しかし、聖書はすべてのものを罪の下に閉じ込められました。約束がイエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられるためです。」(ガラテヤ3:22聖書協会共同訳)とありますが、イエス・キリストの真実(信実)とは、徹頭徹尾、父なる神の御心に従って十字架刑を受容されたそのお心と、お姿に現わされています(フィリピ2:8も参照)。私たちは、このイエス・キリストの信実を信じて救われるのです。