2024年6月2日の礼拝宣教から

「幸いと災い」   ルカ福音書6章20-26節 

津村春英牧師

 皇室の佳子様のギリシャ公式訪問で、最後のご挨拶を現地語で「エフハリスト ポリ」(感謝します。とても)と言われました。私たちキリスト者は一日に何度、神様に「感謝します」と言っていますか。主イエス・キリストは、その十字架の死によって私たちの罪を贖い、その復活によって永遠の命へと私たちを導いてくだいました。ですから、主イエスは預言的に言われたのです。「貧しい人々は、幸い」(6:20)であり、「今泣いている人々は、幸い」(同21)であると。反対に、「富んでいる人々、あなたがたに災いあれ」(聖書協会共同訳6:25)、「皆の人に褒められるとき、あなたがたに災いあれ」(同26)と主は言われました。富そのものは祝福ですが、富に心が奪われ、神様から離れてしまいます。また、すべての人に褒められるわけがありません。そこには忖度や妬みもあります。いずれにせよ、このような地上のものは過ぎ去ります(コリント二4:18)。

 今日は教会創立121周年。初代牧師・河邉貞吉師は「宜しく聖霊に満さるべし」と力説されました(『河邊貞吉説教選集』1951)。どんな苦難の中でも希望を持つことができるのは、「聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)とパウロは書いています。つまり、聖霊によらなければ神の愛は見えないということです。神様に「エフハリスト ポリ」。