「いと高き方の子」 ルカ福音書6章27-36節
津村春英牧師
「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と夏目漱石は人間関係の難しさを嘆いています(『草枕』)。競争社会にいるなら、周りは皆、敵です。「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。……そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。」(ルカ6:35)と主イエスは言われました。主ご自身は、十字架にかかられるいまわの際(きわ)でも、周りの人々を愛し、神の赦しを祈られました(同23:34)。しかし、「敵を愛しなさい」ということばの前に、自分は程遠く、みじめな罪深い者であることを痛感します。この主の愛敵の教えの中にある、18世紀から「黄金律」と呼ばれていることば、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(ルカ6:31//マタイ7:12)も、とても高いハードルです。
ところで、「家庭の中であなたは何に一番生きがいを感じますか」という問いかけに対する答えの第一位は、「子どもの成長」だそうです。そのように、聖書によれば、天の父なる神、いと高き方は、主イエスを信じる私たちを、「子」として扱ってくださり、その子の成長を望んでおられるのです。その子どもが苦しみもがいていることもよくご存じのはずです。名実ともに、「いと高き方の子」となれるよう、「黄金律」を少しでも実行できるよう心がけたいものです。