「愛には恐れがない」 ヨハネの手紙一4章16b~21節
津村春英牧師
今年のプロ野球セントラルリーグ優勝チームの監督の口癖は、「普通にやるだけ」だそうです。ところが私たちには、日常、「恐れ」があります。昔のことばに、地震、雷、火事、親父(強風説も)とあるように、恐れるものが存在します。昨今は線状降水帯による大雨や洪水もそうでしょうか。
今日の聖書の箇所には、「こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。」(4:17, 18)とあります。裁きの日は厳粛ですが、主イエスは、敵意や危険に囲まれながらも、父なる神との愛の交流により、神を信頼して歩まれました。そのように、イエス・キリストがなしてくださった愛が自分たちの内に全うされているなら、将来への恐れはないというのです。
「世界が明日滅びることが分かっていたとしても、私は今日リンゴの木を植えるだろう」はマルティン・ルターのものとされますが、どんなことがあっても、「普通にやる」ということです。確信があるからです。恐れがないからです。神の愛の内にあるなら恐れはありません。希望を持って、進みましょう。