「神の愛の内にとどまる」 ヨハネの手紙一4章11~16a節
津村春英牧師
先週、二つの大きな謝罪会見がありました。ひとつは、ある芸能プロダクション創業者による性加害に関する会社側からの会見、もうひとつは、事故車の修理時にさらに傷を追加して保険金を増額し不正請求した業者と結託した保険会社の会見でした。聖書には、「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」(ヤコブの手紙1:15)とあります。これは他人事ではありません。すべての人に適用されることばです。今、私たちが読んでいるヨハネの手紙一には、「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(ヨハネの手紙一1:7-9)とあります。
人は自分の罪を告白し、主イエス・キリストの十字架によって、罪を赦されなければなりません。生まれ変わらなければなりません。そして、罪に陥らないように、神の愛(神が人類の罪の贖いとして御子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださった)の内にとどまり続けるよう勧められています。ここに救いがあり、希望があるのです。