「愛の源」 ヨハネの手紙一4章7~10節
津村春英牧師
100年前の9月1日に関東大震災が発生し、推定10万5千人という死者、行方不明者を出しました。今年の新聞各社が異口同音に言っていることが気になりました。震災のどさくさに紛れ、各地で朝鮮人の虐殺があったというのです。各地にある慰霊碑がその事実を物語っています。デマに踊らされた自己中心の人間の恐ろしい行状です。この自己中心は誰もが持っている性質です。聖書ではこれを罪と言います。
ところで、「神は愛である」ということばは、聖書のどこにありますか…。ヨハネの手紙一の4章8節、16節の2か所にあります。「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」(4:8)。そして、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(同10)とあります。愛の源は神にあり、私たち人間の方からでなく、神の方からその独り子をこの世に遣わしてくださり、私たちの罪を償ういけにえとしてその御子を十字架におかけになりました。これが愛なのです。ここまでしないと人間の罪は赦されないのです。まことの愛は痛みをともなっています。私たちは、この愛にどのように応えたらよいのでしょうか。