2022年11月6日の礼拝宣教から

「愛はすべてを完全に結ぶ帯」  コロサイ人への手紙3章12~14節

津村春英 牧師

エフェソから、東の内陸に直線距離で150kmあまり進んだところのコロサイという町(標高約350m)のキリスト者にパウロは手紙を書きました。そこは、世を支配する霊、飲食や暦に関係した禁欲を主張する人、天使礼拝者とその体験で思い上がる人などがいて、悪影響を受けていると聞いたからです(2:6-23)。パウロは、キリスト者は神に選ばれた者、聖なる、愛されている者だから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着け、互いに赦し合いなさいと勧め、「さらに、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯です。」(3:14聖書協会共同訳)と説きました。この「愛」は「キリストの愛」です。最後は「愛」でしっかりと結ぶのですよと命じたのです。

今、「宗教2世」が取りざたされています。教会ではどうでしょうか。今日は合同召天者記念礼拝でご遺族の方々が多く来られています。親に無理強いされ、仕方なく礼拝に来られたこともあったかもしれません。子どもたちは犠牲者なのでしょうか…。親はわが子に、この厳しい現実を生き抜くため、救い主イエス様を知り、受け入れ、どんなときにも希望を失わない、そんな人生を歩んでほしい、その一念で勧めるのです。問題は、そこに「愛」があるかどうかです。また、「愛」があってもそれに気づくかどうかです。