2022年4月3日の礼拝宣教から

「満ち溢れる恵み」 ローマ信徒への手紙5章15-21節

津村春英 牧師

最近、フェイクfake(でっち上げ、見せかけ)という言葉をよく耳にします。これはデジタル時代になり、アナログの文字、音、画像などほとんどのものがデジタルで表現でき、模造も容易になったからだと思われます。あの惨状を極めるウクライナ情勢に関する西欧側のニュースも、ロシア側ではフェイクだと発信しているようです。一体、何が真実なのでしょうか。

キリスト者は聖書に真実を求めます。私たち人間は何者なのでしょうか。使徒パウロは言っています。「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。」(5:19, 20)と。

この「従順」というギリシア語は「下+聞く」の合成語ですが、人間の原点であるアダムは神の御声に聞き従わず、罪を犯しました。そして、モーセに授与された律法により、その罪は深く認識されるようになりましたが、主イエス・キリストの、十字架に至るほどの、神に対する従順によってもたらされた「恵み」は、罪を深く認識すればするほど、人に満ち溢れるというのです。自らを見つめ直し、満ち溢れる主の恵みに感謝したいものです。