「人とは何者なのか」 詩編8篇1-5節
牧師 津村春英
アメリカ国籍を持つ日本人の真鍋淑郎(90歳)さんがノーベル物理学賞を受賞されました。その会見の席上で、「日本に戻りたくない理由の一つは、周囲に同調して生きる能力がないからです」と、謙遜とともに日本社会を風刺されました。確かに、私たちは関係の中で生きています。水平の人間関係とともに垂直の関係はいかがでしょうか。
詩人は、天における神の偉大さを歌った後に、「そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。/人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。」(8:5)と歌っています。下線部の「人間」は、ヘブライ語ではエノーシュで、弱く死ぬべき存在、必ず消滅する存在を意味し、「人の子」の「人」アダムは、アダマー「土」と同義で、人は土から造られ、土に帰る存在であることを意味しています。そのような「ひと」をどうして偉大な神は「御心に留めて」(直訳は、覚えて)いてくださり、「顧みて」(直訳は、訪れて)くださるのでしょうか。ある注解者は「人間に対する神のかかわりは、はかり知れぬ恵みにほかならない」と書いています(A・ヴァイザー『詩篇上』安達忠夫訳、ATD旧約聖書註解(2)、1983、p.170)。私たちは、これほどまでにも神に愛されているのですから、心から感謝し、自分がどうのように状況にあっても、ポジティブに受け止め、いつも前向きでありたいものです。