2021年10月17日の礼拝宣教から

「主の言葉を聞く」 列王記下20章12-21節

牧師 津村春英

わが国の新しい首相は、自らを「聞き上手」と発言していますが、今後の政治運営でその真価が問われます。

紀元前700年頃の南ユダ王国の王ヒゼキヤは、預言者イザヤから「主の言葉を聞きなさい」(20:16)と言われました。事の発端は、東のバビロンからの使者たちに、王宮にあるものすべてを見せてしまったことです。王としては大失態でした。それ故、イザヤの語る言葉はユダ王国に対する神の厳しい審判でした。ところが、ヒゼキヤはイザヤに、「『あなたの告げる主の言葉はありがたいものです』と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた。」(同19)とあります。下線部は自己中心のように聞こえ、人物評価が下がってしまいます。ところが、前の18章に、「彼は主の目にかなう正しいことをことごとく行い……イスラエルの神により頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった」(18:3-5)とあり、次の20節には、彼のたぐいまれな功績も書かれていることから、ヒゼキヤは、神の厳粛な裁きを真摯に受け止めつつ、その中にも憐れみがあり、神のなさることは最善であると感謝してその言葉を受け入れたのではないでしょうか。わたしたちも、どのようなときも、「主の言葉はありがたい」と聞くことができるでしょうか。