2021年9月12日の礼拝宣教から

「主イエスの弟子道」  ルカ福音書14章25-33節

牧師 津村春英

全世界が震撼した米国の9.11同時多発テロ事件から20年が経過しました。実行犯はアルカーイダのジハード(聖戦)のために訓練された戦士でした。人は学んだことを行動に移します。ですから、何を学ぶかが問われます。

主イエスはついてくる群衆に振り向いてこう言われました。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14:26)と。「弟子」の語源はギリシア語もヘブライ語も「学ぶ」からきています。「憎む」の反意語はセム的用法では「愛する」なので、何よりも誰よりも「主」を愛することが求められているのです。ただし、この厳しすぎると思われる条件は、定着して日常生活をするためではなく、今から「旅」をするのですから、彼らはすべてのものを後ろに置いてゆかねばならなかったからです。しかもその旅の終焉は主イエスの十字架なのですから、弟子たちは死を覚悟する(自分の十字架を負う(同27))必要があったのです。

主イエスと共に歩む旅、それは主イエスの弟子道です。真の弟子となるためには学ばなければなりません。待ち受けている困難に耐えていけるでしょうか。何よりも誰よりも主を愛する信仰をもって、そして主はどんなときにも共にいてくださり最善に導いてくださると信じ進みましょう。