2021年4月18日の礼拝宣教から   

『第一人者になりたい人は』 マルコ福音書10章35-45節

牧師 津村春英

わが国と米国の第一人者同士の初会談が報じられました。主イエスの弟子の内、側近中の側近ヤコブとヨハネは、主が栄光をお受けになるときには、特別な地位に取り立ててくださるように頼みました。すると主は次のように言われました。「いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(10:44,45)と。

多くの人が一番を目指しますが、一番にならなくてよいのかもしれません。先頭は風当たりが強いことを覚悟しなければなりません。しかし、もしなりたいなら、「仕える人」になりなさいと主は言われたのです。それが第一人者のしかるべきスタンスで、それは、主イエスが、すべての人のために、その人の罪の贖い、身代金として自らの命を投げ出された姿に現されているのです。実際には、弟子たちは、誰が一番というよりも、それぞれ身を挺して助け合わなければなりませんでした。当時のローマ帝国の力をもってすれば、キリスト者の集まりなどは一息の、風前の灯火でした。私たちも、このコロナ禍の中にあって、自分のことだけでなく、励まし合い、助け合い、祈り合い、仕え合うことが重要ではないでしょうか。