『霊によって生き返る』 エゼキエル37章1-14節
牧師 津村春英
旧約聖書に登場する預言者イザヤ、エリヤに次ぐエゼキエルは、エルサレムから王と共にバビロンに捕囚となりました。さらに追い打ちをかけるように都エルサレムの陥落が後に伝えられます。この絶望と思えるような中にあって、主の御手がエゼキエルに臨み、彼は幻を見ます。ある谷の真ん中に、おびただしい数の枯れた骨を見せられました。主は言われました。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。」(37:11, 12)と。その回復の鍵は、「わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。」(14)にあります。この「霊」はヘブライ語で「ルーアハ」で、エゼキエル37章には、1, 5 , 6, 8, 9×2, 10, 14節にあり、5, 6, 8, 9, 10節では「息」とも訳されています。
故M兄は晩年、この神の霊ルーアハの話に感動され、ルーアハにより生かされ、良い証し人としての生涯を全うされました。私たちも、コロナ禍による捕囚のような状況にあっても、ルーアハにより生かされ、希望をもって進みましょう。