2021年2月7日の礼拝宣教から

『一粒の麦』 ヨハネによる福音書 12章20-26節

牧師 津村春英

NHKテレビ大河ドラマ「麒麟が来る」が最終回を迎えます。果たしてどんな結末になるのでしょうか。主人公の明智光秀も織田信長も死なせたくないと思う人がいることでしょう。歴史として伝えられているのはいくつかの点で、それをつないで線となし、さらに広げて面をつくり、さらに立体的なものへと描き上げるのが脚本家の力量です。

新約聖書の主人公はイエス・キリスト。イエス・キリストは死なねばならなかったのです。弟子たちにとって主人が死んでは困りますが、死なねばならなかったのです。それはユダヤ人のためだけではなく、全人類が救われるためです。ヨハネの福音書には、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(12:24)と書かています。一粒の麦はイエス・キリストで、多くの実は信じ救われる人々を指しています。

さだまさしの「ひとつぶの麦」という歌は、アフガニスタンの砂漠化した大地に用水路を建設し農村を復興した故中村哲医師を追悼する歌で、その歌詞に「私に出来ることをなせば良い」とあります。主が、そして誰かが、私の一粒の麦になってくださったので今日の私があると思います。それでは、私たちは誰かの一粒の麦になれるでしょうか。