2020年12月20日の礼拝宣教から

『民を罪から救う方』 マタイによる福音書1章21-23節

牧師 津村春英

選択的夫婦別氏(うじ)制度の導入の声が高まってきています。確かに「名」は重要です。聖書にイエスという名の由来が書かれています。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(1:21)。イエスという名は、旧約聖書ヘブライ語「ヨシュア」(主(ヤハウエ)は救いの意)の訳語です。その名のごとく、ご自分の民を罪から救われるのです。民(ギリシア語ラオス)は直接的にはイスラエルの民をさしていますが、マタイ福音書では「すべての人々」がその射程に入っています(28:19「すべての民」の民はギリシア語エスネーですべての民族)。では、その方法、手段は何でしょうか。それは十字架刑によってです。

先週から米国では新型コロナウイルスのワクチン接種が始まっているようですが、それは「毒をもって毒を制す」という考え方です。同様に、人間の罪の問題は罪を十字架で負われることによって解決されるのです。さらに、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(同23)とあるように、この方はそのご生涯を通してインマヌエル(神は我々と共におられる)を現してくださいました。このように、この方がわたしたちを救い、いつも神が共にいてくださることを教えてくださるのです。感謝して、そのご降誕を心からお祝いしましょう。