2020年10月11日の礼拝宣教か 

『誰を捜しているのか』ヨハネ福音書20章19-23節

牧師 津村春英

 マグダラのマリアは最愛の主イエスを失い、心が折れそうでしたが、墓に戻ってきました。墓の外に立って泣きながら身をかがめて墓の中を見ると二人の白い衣を着た天使が目に入りました。彼らがマリアに声を掛けると、マリアは、遺体の行方が分からないと泣き続けましたが、後ろを振り向くと、そこにイエスが立っておられるのが見えました。しかし、それがイエスだとはわかりませんでした。園の番人と勘違いし、遺体のありかを尋ねるというありさまでした。恐らくまた墓の方を見たのでしょうが、「マリアよ」というイエスの懐かしい声に、再び振り向いて「ラボニ」(私の先生)と答えたのです。イエスは、すがりついていないで兄弟たちに「天の父の所に上る」ことを伝えなさいとお命じになりました。マリアは弟子たちの所に行って「私は主を見ました」と告げ、主からの伝言を届けました。この「主を見た」は8節の「見て、信じた」と同じ語でマリアの信仰を表しています。マリアは遺体のイエスを捜していましたが、復活されたイエスを見て信じたのです。

 私たちが執着している「墓」とは何でしょうか。名を呼んでくださる復活の主を信じ、その墓を背にして方向転換し、新たな目標に向かいましょう。必ず、恵みと慈しみが後からついてきます(詩編23篇6節)。