『光の中を歩むなら』 ヨハネの手紙一1章5-2章2節
牧師 津村春英
「わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。」 (1:5, 6)「闇の中を歩む」とは罪の生活を意味します。
古代イスラエルの民は祭司に罪の赦しの儀式を依頼しました。レビ記4章以降に詳しく書かれてありますが、「祭司がこうして罪をあがなう儀式を行うと、彼ら(彼)の罪は赦される」(レビ4:20, 26, 31, 35)ということばが繰り返されています。大祭司、御子イエス・キリストの場合は、牛、羊、山羊などの血ではなく、ご自身の十字架の血をもって、わたしたちの罪の赦しの儀式を今も行ってくださるのです。
三浦綾子さんは、『聖書に見る人間の罪』で「毎日がつまらなければ、神の愛を知らぬ自分の罪である」と書いておられます。神の光の中を歩むことです。そうすれば、何と恵まれているかがわかります。そしてどんな罪も御子イエスの十字架の血によって赦され、わたしたちはきよめられるのです。「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(1:7)