2019年11月17日の礼拝宣教から

『互いを造り上げるように』 テサロニケ信徒への手紙一 5章1-12節

牧師 津村春英

先週、皇位継承の儀式「大嘗祭」が執り行われました。その儀式の詳細は一般には明かされない秘儀ですが、民俗学の権威者、折口信夫(おりくちしのぶ)は「大嘗宮の儀」について、天皇霊がはいり完全な天皇になる儀式であるとの説を立てました。

キリスト者は光の子(子:その性質、精神を体現する者)で夜や闇に属していないのだから、信仰と愛を胸当てとし、救いの希望を兜として、主の日の到来に対し身を慎んで(酒に酔わないで正気でいる)、目を覚ましていましょう、とパウロは勧めています。そして最後に、「ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。」と締めくくっています。下線部は、新しい聖書協会共同訳では「互いを造り上げるようにしなさい。」となっています。「造り上げる」と訳されるギリシア語オイコドメオーは、(家)+(建てる)で構成された単語で、単に、「互いを高め合いなさい。」(新改訳2017)ではありません。また、日本語の「造り上げる」は、庭を造り上げる、雰囲気を―、国家を―、街並みを―など、個を大切にしつつも常に全体に目を配って造り上げていく意味だと思われます。わたしたちも、「互いを造り上げるように」、祈り、励みましょう。