2019年11月10日の礼拝宣教から

『いつまでも主と共に』テサロニケ信徒への手紙一 4章13-18節

牧師 津村春英

先に召されたキリスト者は、主の再臨のときにどうなるのか、このことで悩んで不安を抱えている教会のキリスト者に対し、安心を与え、励ましを与えるために、使徒パウロは次のように書いています。「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります」(4:16,17)。

三浦綾子さんが召されて20年になりますが、最愛の奥様を天に送られた1年後の夫・光世さんが、悲しみの癒えない中で、次のように書いておられます。「今、綾子がどこにどんな状態でいるか、定かでない。が、使徒信条にあるとおり、『体のよみがえり、永遠の命を信ず』との言葉を確認し続けたい。私たちの思いをはるかに超えた時間と空間を、神は備えてくださっているのであるから」(『三浦綾子 信仰と文学』p.122-123参照)。

 キリスト者には召されても、復活のキリストと共にいる希望があります。「いつまでも主と共にいる」。これ以上の慰めと励ましの言葉はありません。