2019年11月3日の礼拝宣教から 

『心が燃えているのか』 ルカによる福音書 24章13-32節

牧師 津村春英

つい二日前に、主とあがめるイエスを十字架刑により失った二人の弟子が家路についています。彼らは自分たちが落胆の沼に落ちて行くのを感じています。ただ、葬られた墓を見に行った他の仲間たちが、イエスは復活され、

見つけることができなかったという報告は受けていました。彼らは道々そのことについて論じ合っていると、そこに復活されたイエスが合流されたのです。しかし、彼らにはまだ分かりませんでした。イエスは歩きながら、モーセ(律法の書)とすべての預言者の書から始めて、聖書全体にわたってご自分について書かれてあることを説き明かされました。やがて家にたどり着き、イエスを無理やり引き留めて一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡されました。この懐かしい光景により、ついに二人の目が開かれましたが、イエスの姿はもう見えなかったというのです。

二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(24:32)と語り合いました。厳密に訳せば、「心は燃やされ続けていた」となります。復活されたイエスと出会っているとき、心が燃やされ続けるのです。今日、あなたはイエスに出会っていますか。