2019年9月15日先週の礼拝宣教から

『信仰によってイサクは』 ヘブライ人への手紙11章17-22節

牧師 津村春英

今日は礼拝後に、高齢者を敬う「敬愛会」をもちます。ヘブライ書には、「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。」(11:17)とあり、「信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。」(同20)とあります。この間、イサクはどのような人生を歩んだのでしょうか。その名が意味するように、「彼は笑う」という人生を歩んだのでしょうか。アブラハムやヤコブと比べると地味で、井戸を掘り続けただけだったのでしょうか(♪イサクのおじさん井戸を掘る『こどもさんびか1・64』)。勿論、その時代のその地方では、井戸掘りは困難を極め、水は死活問題でしたが。しかし、イサクはヤコブやエサウにとって「重要な父」であり、そして、ヨセフも父ヤコブがいなければ存在しなかったのです。イサクは、「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす/わが僕アブラハムのゆえに。」(創世記26:24)というみことばを主からいただきました。こうして、イサクは信仰によって歩んだと証言されているのです。 わたしたちも、与えられたみことばに心から感謝し、信仰によって力強く歩んでまいりましょう。