2019年6月9日の礼拝宣教から

『聖霊に満たされて』 使徒言行録2章1-13節

主幹牧師 津村春英

  春の過越しの祭りから七週、五十日目の五旬祭、ペンテコステ(ギリシア語)の日に、それは起こりました。当時の世界各地から集まって来た人々の前で、弟子たちは神の偉大な業を各国の言葉で語ったのです(直訳は「他の言葉で語る」)。当教会の創立年1903年に現在の天王寺公園辺りを会場に内国勧業博覧会が開かれ、その博覧会正面前に「きたりてみよ」という大看板を掲げてキリスト教伝道が行われました。その結果、私たちの教会が生まれました。以来、当教会は目覚ましい発展を告げました。その「武勇伝」を耳にタコができるほど聞かされてきました。提灯をもち、大太鼓を叩き、トランペットを吹き鳴らして、ミナミ界隈を練り歩き伝道をしたと。

 それに比べ、トラクト配布もやめてしまった現在の私たちの教会はどうでしょうか。今日の聖書の箇所から学ぶことは何でしょうか。第一に、「一つとなって集まる(祈る)」ことです。そこに御業が現されました。ばらばらでは何の力もありません。第二に、先週、河邉師の言葉を引用したように、「聖霊に満たされる」ことです。第三に、「イエス・キリストによる救いを語る」ことです。家族はじめ周りの人々に福音を伝えるのをあきらめてはなりません。また、教会に来られた新しい人々が喜んでリピートできる教会になることです。私たちが、イエス・キリストの福音を語らずして誰が語るのでしょうか。