『神の御心に適った悲しみ』コリントの信徒への手紙二7章2-16節
主幹牧師 津村春英
最近は手紙を書かず、メールやラインなどで済ます人が増えています。私は手紙を比較的書く方だと思います。とりわけ若い頃の家内との恋愛中は沢山の手紙を書きました。手紙というものは、想像しながら読むので、喜ばれることもあり、また、誤解されることもあり、悲しみを与えることもあります。
使徒パウロは、生み出した教会に幾つもの手紙を書きました。それは、時には励ましであり、時には慰めであり、また時には厳しい忠告でもあったと考えられます。コリントの教会のキリスト者たちに宛てた手紙の中で、「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。」(2:4)「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、」(7:8)とありますが、「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。 」(7:10)とまとめています。
人生には悲しいことがいっぱいあります。私も経験してきました。年配の皆さんはなおさらでしょう。しかし、悲しみにも二種類があるというのです。ひとつは死に至る悲しみです。他のひとつは神の御心に適った悲しみで、悔い改めて立ち直り、救いに至る悲しみであるとパウロは書いています。 心して、このみことばを聞きたいものです。