2019年4月21日の礼拝宣教から

『何のために走るのか』 マタイによる福音書28章1-10節

主幹牧師 津村春英

 Happy Easter! イースター、おめでとうございます。日曜日の朝早く、二人の女性が、主イエスが葬られた墓に向かいました。ところが、主は復活され、ガリラヤで弟子たちにお会いすることになるとのメッセージを天使から受けるのです。彼女たちは恐れと喜びをもって弟子たちのところへ急ぎますが、その途中で、主ご自身が彼女たちをお迎えになり、「シャーローム」、「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(10)と言われました。彼女たちは感動してこのメッセージを携え、他の弟子たちのところへ走って行ったのです。

 さて、私もここまで走って来ました。33年前にこの教会に招聘された最初の礼拝で、故宇崎竹三郎名誉牧師がヨハネ21章から「岸辺に立つイエス」と題し、復活された主について語られたのを覚えています。私たちは、いつまで、どこまで、何のために走るのでしょうか。キリスト者は何のために走るのでしょうか。私を導いてくださった宣教師夫人は、顔の皮膚がんと闘い、ついに失明してしまわれましたが、「次に見るのは主エス様が迎えてくださるそのお顔です。」と証しされ、その生涯を信仰によって走りぬかれました。私たちは何のために走るのでしょうか。イースターの朝、改めて自らに問い直してみたいものです。