「この人を見よ」 ヨハネによる福音書19章4‐7節
津村春英牧師
一日何回、鏡を見ますか。スマホも顔認証で開きます。顔はその人物を表す最も重要なところです。人というギリシア語にはアネール(人、夫、男)とアンスローポス(アネール+オープス・顔)があります。ポンティオ・ピラトが、荊の冠をつけ、紫の衣を着た主イエスをユダヤ人たちの前に引き出し、「見よ、この人(アンスローポス)だ」(ほらごらん、この人だ)というくだりがあります。ラテン語では、エッケ・ホモーと言いますが、この名の絵画はたくさんあります。どんな顔に描かれているのか興味深いことですが、玉川直重本ではこの箇所は「みじめな人」と解しています。
私たちはこの悲惨を味わわれた主イエスからから目を離してはいけません。ただし、十字架上の主イエスをただ眺めているだけではいけないのです。そのままではキリスト教は終わってしまうからです。弟子たちは、やがて墓に葬られ三日目によみがえられた主に再び出会い、宣教の業に遣わされていくのです。私たちも、主の十字架をただ偲んでいるだけであれば、大阪日本橋キリスト教会は終わってしまいます。みことばを宣べ伝えなければ、御言葉を行う人にならなければ、この教会は終わってしまいます。十字架の出来事を生涯かけて宣べ伝える者とならせていただきましょう。