「キリストの真実による義」 ガラテヤ信徒への手紙2章15-21節
津村春英牧師
高校や大学の入学試験の結果が出ました。合格者には進む将来が少し開けましたが、入学後は学校の学生に相応しい学びをするよう期待されています。
聖書には、神がおのおのの行いに従って裁きを行われる日があると書かれています(ローマ2:5, 6)。それはまるで御国に入る試験のようで、この合格のことを、「義とされる」と表現しています。紀元1世紀の初期教会には、ユダヤ人と、ギリシア人をはじめとする異邦人がいて、ユダヤ人は異邦人に対して、律法に則って、割礼を受けてからでないと義とされないと主張しました。それに対して、パウロはユダヤ人でありながら、「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。」(ガラテヤ2:16a聖書協会共同訳)と、異邦人にも開かれた「義」を力説しました。イエス・キリストの真実とは、神に対する真実であり、私たち人間に対する真実であり、神がイエス・キリストを通して示してくださった真実で、それは十字架によって現わされました。私たちを愛して、ご自身を献げてくださったキリストの真実の十字架、このキリストの真実によって生かされていることを「恵み」というのです(同20)。心から感謝し、期待に応えるべく揺るがない信仰を持ち続けたいものです。