「試みに陥らないように祈りなさい」 ルカによる福音書22章39-53節
津村 春英牧師
主イエスご自身だけが知っておられた十字架刑を前にして、主の苦悩はクレッシェンドのように高まって行き、その極みが「ゲツセマネの祈り」です(cf.マルコ14:32)。ルカ福音書では、「誘惑に陥らないで祈っていなさい」の主の言葉が二度繰り返されています(40, 46)。「誘惑」の原語「ペイラスモス」は試練と誘惑の両方の意味があります(cf.ヤコブ1:12試練, 13誘惑はその名詞形と動詞形)。多くの邦訳や英訳では「誘惑」temptationと訳していますが、弟子たちにとって、「誘惑」とは具体的にどういうことなのでしょうか。その場で眠ってしまったことでしょうか(45)。この場に及んで一般論を言われたのでしょうか。そうではなく、十字架刑という出来事による苦難が、彼らの信仰を揺さぶる試練となるからではないでしょうか(他のものに頼ろうとする誘惑?)。
ガリラヤからエルサレムへと進む途上で、日毎に増大していったおびただしい数の追随者、弟子群は、主イエスの十字架刑の前後で四散し、圧倒的に少数になってしまいます。つまり残った弟子たちに、今までに経験したことのない大きな試練がやってくるのです。ですから、主イエスは、「試み」に陥らないように(原語は「入り込む」、そこから抜け出せなくならないように)、祈っていなさいと教えられたのではないでしょうか。私たちの場合はどうでしょうか。