2025年1月4日の礼拝宣教から 

「キリストの日に誇る」 フィリピ2章12-18節

津村 春英牧師

 2026年幕開けの箱根駅伝往路で、人知を超えた大逆転劇がありました。選手たちはこの日のためにどれだけ苦しい練習をしてきたことでしょうか。人生の競争ではどうでしょうか。新しい年を迎えるように、キリストの再臨があります。これはたった一度のことですが、それを「キリストの日」と呼び、その時、一人一人に最後の審判が下されるのです。今朝の聖書の箇所には、「キリストの日に誇る」ことができる人生が示されています。

 パウロが書き送ったフィリピ書は、獄中(ローマ?エフェソ?)で書かれました(1:7,13,17など)。生きるか死ぬかの覚悟をもって書かれたこの手紙で、パウロは、「生きることはキリスト」(1:21)と書きました。それはキリストのために生きる(1:29;ローマ14:8; テサロニケ一5:10など)、キリストと共に生きる(ガラテヤ2:20など)と考えられます。そして、フィリピの教会の兄姉には、「自分の救いの達成に努めなさい」(2:12)と勧めました。ただし、孤軍奮闘ではなく、神がそれぞれに願いを起こさせてくださり、神がそれを最後まで導いてくださるからだと書いています(2:13; 1:6)。こうして、それぞれが走ったことも、労苦したことも無駄ではなかったと、「キリストの日に誇る」ことができると励ましたのです。これは私たちへのメッセージでもあります。